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Osaka Shalom
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9月27日 信じて願い求める

ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。(ヤコブ1:6−8)

 信仰が伴わない祈りは働きません。私たちが祈ったからといって、神がその祈りに答えてくださるわけではありません。上記の聖句は、私たちが信じて願い求めなければ、主から何も受け取ることはできないと教えています。
 私たちクリスチャンは絶えず知恵を必要としています。私たちは、神が何と言われているのかを知り、神が私たちにするように求めておられることを私たちがどのようにしていくことを願っておられるのかを知る必要があります。しかし、私たちが不信仰になってしまい、その知恵を求めないのなら、それを受け取ることはありません。私たちが正しく祈り、その答えを受け取るには、信仰が不可欠なのです。
 私たちが信じて求める時、そこに疑いはありません。疑えば、私たちは神から受け取れなくなります。疑えば、癒しも解放も受け取れなくなるのです。疑うことによって、私たちは二心のある者になってしまいます。神は、心がひとつに定まった者の祈りだけに答えることができるのです。
 神から答えを受け取るためには、どのように信じて求めればいいのでしょうか? 私たちは、神の答えを見たり感じたりする以前に、信仰によってその答えを受け取らなければならないのです。信仰は神の御ことばや預言のことばを信頼します。信じて求める時、私たちは神がその祈りを聞いてくださっていることを確信しています。その答えが来ようとしていることを知っています。信仰は神が私たちの祈りを聞いてくださることを確信しているのです。
 私たちが最初に祈り求めた時から神が聞いてくださっているのであれば、一度求めた後は何をすればいいのでしょうか? 神を賛美し、感謝を捧げ始めればいいのです。私たちが主に感謝を捧げるのは、これまでに受けた祝福だけに限りません。私たちは、これから主がしてくださることに関しても感謝を捧げるべきなのです。信じる者は、神が自分の祈りに答えて御わざをなしてくださることを知っています。しかし、私たちが神の御わざの現れを見ていくには、感謝と賛美を捧げていくことが必要なのです。
 二心があるクリスチャンは、すばらしい信仰の祈りを捧げても、その後一日中、他の人々に否定的なことを言ってしまいます。あなたも私も、自分の口のことばによって自分が捧げた信仰の祈りを取り消してしまうことがあるのです。あなたは自分の祈りと自分の口のことばを切り離すことはできません。私たちが語ることばは、霊的な領域において非常に重要です。私たちが目に見える世界で祈りの答えを受け取るまで、そのために働く御使いたちは絶えず私たちの信仰のことばを必要としています。
 私たちが神に祈り求めた後、イエスに感謝し、賛美を捧げ、喜んでいるのであれば、それによって自分が二心でないことがわかります。私たちはいつも喜んでいましょう! いつも感謝していましょう! 私たちがいつも喜び、感謝していることは、神の御こころなのです!

宣言:神様は私の祈りを聞いてくださいました。ですから、私はすでにその答えを受けたと信じます!

今日の聖書通読箇所:朝・・・Uサムエル23章、ガラテヤ2章
              夜・・・エゼキエル30章、詩篇78篇38―72節

- 2006-09-26
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