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9月26日 信仰と愛の胸当てをつける

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。(Tテサロニケ5:8)

 私たちの心は信仰と愛によって守られています。私たちはすでに、信仰は敵のすべての矢から私たちを守る盾であると学びました。信仰と愛はともに、神が私たちに約束してくださったことを手放してしまうような霊的まどろみから私たちを守ってくれる胸当てです。
 パウロはここで、私たちには信仰と愛があるので、この世のものに酔わずに慎み深くしていることができると教えています。愛は信仰の源なので、愛がなければ信仰は働きません。神を愛し、キリストにある兄弟姉妹を愛しているなら、私たちは霊的に目を覚ましていることができ、神の臨在を楽しむことができるのです。私たちが神の愛に生きているなら、私たちの信仰は強くなっていきます。
 信仰は思いではなく心から生じてくるものです。私たちは心で信じたことを告白します。私たちが信仰に満たされたいのなら、私たちの心が愛で満たされなければなりません。私たちの信仰は神の御ことばにあります。私たちの信仰は神の忠実さにあります。私たちの神に対する愛が強ければ、私たちの神にある信仰も強くなっていきます。私たちは愛する父なる神に信頼を置いているのです。
 悪魔はいつも、私たちが怠慢になり、神に対する私たちの愛が冷えていけばいいと願っています。悪魔はいつも、私たちが主イエスともに歩むことを妨げようとしてきます。悪魔はそのために、律法主義や世俗的なことを用いて私たちを誘惑してきます。悪魔はいつも、私たちのプライドをかきたて、私たちが主から離れ、独立して歩むように仕向けてきます。悪魔は、私たちが主とともに歩み続けたら信仰から信仰へと成長していくことを知っています。私たちがキリストにある権威を活性化し、イエスがされたように、すべての悪魔のわざを打ち壊していくようになることを悪魔は知っているのです。
 主との愛の歩みを阻止するために、悪魔は私たちが他の人々と争うようにも仕掛けてきます。「何かよくわからないけど、何か嫌な事が起きている」と私たちに思わせることが悪魔のやり口です。これを「憶測」と言います。これは無益な想像であり、ほとんどの場合、これによって私たちは他の人に対して腹を立てたり、苦々しい思いを持ったりしてしまいます。
 信仰と愛のうちを歩みたいのなら、私たちは平安と喜びをもって歩んでいくようにする必要があります。私たちは平安を失うと、信仰も失います。神は平安のただ中に住まわれる方ですから、他者との平和な関係は非常に大切です。イエスは平和の君です。私たちがキリストの愛を失うと、私たちの霊的な歩みを可能にしてくれる信仰を失ってしまいます。あなたも私も争いに関わる権利を持ちません。私たちは愛のうちを歩むように命じられているのです。愛は決して失敗しません!

宣言:私は愛と信仰のうちを歩んでいるので、慎み深くいることができています。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Uサムエル22章、ガラテヤ2章
              夜・・・エゼキエル29章、詩篇78篇1−37節 
- 2006-09-24
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