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9月22日 信仰はキリストの義を活性化する

もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。(ローマ5:17)

 あなたは、私たちが新生するために正しく生きようと努力する必要がないことを知っていましたか? 新生して信者になった後は、私たちは正しく生きるように召されています。しかし、そのためには義の賜物を受け取ることが必要不可欠です。その賜物とは、イエス・キリストです。この義の賜物は、私たちが聖なる神の御前に立つことを可能にしてくれます。
 人の霊が新生し、再創造された結果受ける義は、霊的に成長していく(実を結ばせていく)ものですが、それが成長するには時間がかかります。私たちがうちにおられるキリストに結びついていれば、私たちは毎日の生活の中でキリストの義を生きるようになっていくのです。
 信者はみな、同じように義と認められおり、同じように神の御前に立つことができます。私たちがキリストのうちにあり、キリストが私たちの義であるからです。神はある1人の信者だけを特別に愛するようなことはなさいません。神は御自分の子どもたちの祈りの1つひとつに耳を傾けておられます。私たちがこのことを理解したら、私たちの信仰が、その信仰による祈りを活性化していくようになります。
 私たちがキリストにあって義と認められていることを理解できたら、自分を責める生き方から脱け出せるようになります。悪魔は私たちを責めてきますが、私たちはそれに対して自分がキリストにあって義と認められていることを宣言していかなければなりません。
 Uコリント5:21には、「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」と書いてあります。キリストにあって、私たちは神の義となったのです。イエスの血潮が私たちをすべての罪からきよめてくれたのです。
 聖書は、イエスの血潮が私たちを覆い、私たちを罪からきよめてくれると教えています。しかし悪魔は、私たちがきよめられるのは新生した時だけのことだと思うように仕向けてきます。それによって私たちは、自分が腹を立てたり、心に悪い思いを抱いたりした時のことを振り返り、自責の念に囚われてしまうのです。
 新生した後に罪を犯してしまったら、どうしたらいいのでしょうか? 聖書はすばらしい答えを私たちに提示しています。Tヨハネ1:9には、「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」と書かれています。私たちが自分の罪を告白したら、すべての不義はきよめられます。私たちはキリストにあって完全に義とされており、「働くと力がある義人の祈り」を祈る権威が与えられています(ヤコブ5:15−16)。すでに神の御前で義とされているので、あなたも私も義人の祈りを捧げることができます。私たちがこの啓示を知らないでいると、信仰をもって大胆に神の御前に出られなくなります。信仰が生み出す希望も期待も失ってしまいます。ですから、自分自身を見ることはやめて、イエスがその血潮によってしてくださったことに目を留めていきましょう!

宣言:私は、キリスト・イエスにあって、神の義となっています。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Uサムエル18章、Uコリント11章
              夜・・・エゼキエル25章、詩篇73篇  
- 2006-09-21
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