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9月19日 信仰は御ことばの誠実さを知っている

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4:12)

 私たちが真の信仰を理解したら、何かを信じるのに努力する必要がないことがわかるようになります。キリストを信じる者になった時に、私たちはキリスト・イエスを通してすべてのものを所有する者になったと、聖書ははっきり語っています。
 信仰は、御ことばの誠実さに基づいて行動を起こします。信仰は、神とその御ことばは1つであると理解しています。信仰は、神は約束されたことを必ず行なう方であることを理解しています。信仰は、生ける神の御ことばに絶対的な信頼を寄せます。
 キリスト・イエスを自分の心に迎え入れた時、私たちはすべてのものを受け取りました(エペソ1:3)。神の子どもになった私たちは、神の相続人になったのです。信者である私たちは、すでに罪やサタンから贖われています(エペソ1:7)。私たちはすでに、「新しく造られた者」になっているのです(Uコリント5:17)。
 信仰は、イエスが私たちのために買い取ってくださったものに目を向け、自分がすでにそれを受け取っていることを神に感謝し始めます。私たちは信じようと努力する必要はありません。私たちに必要なのは、神がすでに何を約束してくださっているのかを知ることです。それがわかったら、あとは神がそれを成就してくださるのを信頼して待てばいいのです。
 私たちが御ことばから啓示を受け取ることは、非常に重要です。私たちが御ことばの中に自分に対する約束を見出すなら、別の啓示を受ける必要などありません。その置かれた状況に対する御ことばの約束があれば、それで充分なのです。神が御ことばをもって、「キリストの打ち傷のゆえに、あなたは癒されたのです」と語られたのなら、あなたは癒されたのです! 神が御ことばをもって、「神はあなたの必要をすべて満たしてくださいます」と語られたのなら、神は確かに満たしてくださるのです。
 まず神の御ことばに耳を傾けることをしなければ、私たちは欺かれてしまいます。預言や夢などの他の啓示はどれも、必ず御ことばに照らし合わせてチェックされなければなりません。聖書の御ことばは、私たちの人生にとって、どのような時も最終的な判断基準でなければならないのです。
 クリスチャンの中には、御ことばを心から信頼していないがゆえに、非常に強い不信仰を抱いている人がいます。そのような人は、神の書に書かれていることを信じる以前に、神によって何かを感じたり、預言が語られたりするのを待っているのです。多くの場合、不信仰は知識が欠如していることから来ます。私たちが、イエスがすでに私たちのために買い取ってくださったものを知らなければ、それを受け取ることも、それに基づいて行動することもできません。私たちが、自分がすでにあらゆる霊的祝福を受けていることを知らなければ、それを自分のものとして受け取ることも、それに基づいて行動することもできないのです。御ことばを信頼することなくして、神を信頼することは絶対にできません! 御ことばがイエスを啓示しているのですから、あなたは御ことばを通してのみ、神を見ることができるのです。そして、私たちがイエスを見る時、私たちの信仰は生きたものとなるのです!

宣言:私の人生のどのような状況においても、私は御ことばを最優先させます!
 
今日の聖書通読箇所:朝・・・Uサムエル15章、Uコリント8章
              夜・・・エゼキエル22章、詩篇69篇

- 2006-09-17
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