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9月17日 信仰は愛によって働く

キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。(ガラテヤ5:6)

 神が私たちに約束されたものをすべて受け取っていくには、信仰が必要です。すべての領域で信仰を働かせるためには、愛のうちに歩むことを学ばなければなりません。
 イエスは、私たちが従うべき戒めは2つあると語られました。マタイ22:37〜40には、「そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです」と書いてあります。
 御ことばのすべての約束は、この2つの戒めにかかっています。つまり、カーテンがカーテンロッドに掛けられているように、信仰と満ち溢れる祝福に関する霊的な律法は、愛の律法にかかっているのです。愛というロッドがなければ、信仰というカーテンを掛けて用いることはできないのです。
 神を愛するとは、どういうことでしょうか? あなたが本当に神を愛しているかは、あなたが神の御ことばに従っているかどうかによってわかります。あなたが神を愛しているなら、神を傷つけようとは思わないでしょう。あなたの生き方をもって、神を喜ばせようとするのではないでしょうか。あなたは、神が愛するものを愛するでしょう。神を愛しているなら、神とともにいて、神の御声を聞いていたいと思うでしょう。神の命令を愛し、それに喜んで従う心は、神を愛していることの1つの良いしるしです。
 隣人を愛するとは、どういうことでしょうか? 神が愛しておられるように人々を愛するということです。神は敵をも愛される方です。神は、御自分の敵に向かって悪く言うことはなさいません。神はすべての人を愛しておられます。
 人を愛するというなら、私たちは自分を傷つけた人を赦し、自分を呪う人のために祈るはずです。愛はいつも、人々の中に最善のものを見出します。愛は人に対して怒るのではなく、問題に対して憤りを抱き、それが解決することを望みます。愛は人の陰口を言うことはしません。愛はゴシップとは無関係です! 愛は、あまり好きではない人のためにも祈り、とりなします。
 私たちが愛のうちを歩まなければ、信仰は働きません。愛は、私たちと神との関係の土台です。私たちはすべての人を赦し、人々について否定的なことを言うのをやめなければなりません。私たちは、人を責めるのではなく、その人のためにとりなすようにならなければなりません。私たちを呪う人を祝福しなければなりません。私たちに悪を働く人に、良いことをしていく必要があるのです。愛のうちを歩み、それによって信仰によって歩めるようになりましょう。そして、神が約束してくださっていることを1つ残らず楽しんでいけるようになりましょう。

宣言:私が神を愛し、人を愛しているので、私の信仰は働いています。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Uサムエル13章、Uコリント6章
              夜・・・エゼキエル20章、詩篇66−67篇
- 2006-09-16
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