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Osaka Shalom
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9月7日 信仰は聖書の約束だけに目を留める

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。(ローマ4:19−21)

 信仰とは、私たちが感じることではなく、神が語られたことを信じることです。救い、癒し、リバイバル、家族の救い、勝利―これらはみな、神が御ことばで約束されていることですから、私たちは堅く信じるべきです。私たちは、たとえそれが聖書的に思えても、人が言ったことや経験したことを信じるべきではありません。信仰は生ける神の御ことばにのみ基づくべきものだからです。
 アブラハムは私たちの信仰の父ですから、彼の生き方から学ぶことは多くあります。アブラハムはどのようにして子どもを得ることができたのでしょうか? 不可能なことがどのようにして可能になったのでしょうか? アブラハムは神が語られたことを堅く信じたのです。
 アブラハムは、自分の体のことやサラの胎が死んでいることを全く考えに入れないで、自分の信仰を成長させました。アブラハムもサラも自分たちの問題を理解していましたし、長い間そのことであれこれと悩み、考えていました。しかし、とうとう神が来られて、目に見える状況を覆すような約束をしてくださいました。それにより、彼らは自分の状況を忘れて、別のことを考慮しなければなりませんでした。今度は、神の約束を熟慮しなければならなくなったのです。彼らは神が忠実な方であることに思いを馳せなければなりませんでした。彼らは神を賛美することを選び取らなければなりませんでした!
 私たちはあまりにも容易に自分の置かれている状況に目を留め、神の約束を忘れてしまいます。自分の病んでいる体や毎日の生活の中にある問題のことで、すぐに思いをいっぱいにしてしまいます。友人や愛する人々を見て、「この人たちが救われるのは不可能だ」と容易に思ってしまいます。自分の経済状態を見て、「神様は本当に備えてくださるのだろうか?」と安易に疑ってしまいます。自分の国を見て、「本当にリバイバルは起こるのだろうか?」と安易に思ってしまうのです。
 そのような時にこそ、神の約束を信じる信仰が私たちの心の中で立ち上がる必要があります。私たちの置かれた状況について、神が語ってくださることがあります。神は、私たちが神の約束のみに目を留め、御自分に栄光を帰してほしいと願っておられます。アブラハムは、約束の子が与えられることを神に毎日感謝し始めました。彼は、神が忠実な方であることを感謝し始めたのです。彼は、イエスとイエスの御ことばを信じ、そのことだけを考えることを選び取ったのです。彼は、無いものを有るもののように呼ばれる方である神を信じ、その方の約束だけを考えることを選び取りました。彼らがそのように神の約束だけに目を留め始めると、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じるようになりました。神に不可能はありません! 神に不可能はないのです! 奇蹟のわざをなされるのは神ですが、神はそのわざを成すために私たちの感謝を必要としておられます。イエスに、イエスにある約束に、約束されたことを成就するイエスの力に、目を留めてください。

宣言:神様は、私を癒し、私のために必要を備え、私の家族を救うことができる御方です。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Uサムエル1章、Tコリント12章
              夜・・・エゼキエル10章、詩篇49章
- 2006-09-05
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