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Osaka Shalom
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9月6日 望み得ない時に望みを抱く

彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。(ローマ4:18)

 アブラハムは希望と信仰の力をどのように用いるべきかを知っていました。アブラハムは神に、「多くの国民の父となる」と言われていました。しかしながら、問題が1つありました。アブラハムとサラは子どもをもうけるができませんでした。彼らは不妊の夫婦だったのです。彼らが子どもを産むことは、常識では不可能でした。しかし、彼らには神の約束がありました。
 御ことばは、アブラハムはその時100歳ぐらいだったと記しています。彼らが子どもを産むことは常識ではあり得ないことでしたが、神の約束がアブラハムの心の中に希望を生み出していました。彼がその約束を信じるには、その希望が必要でした。
 聖書は、「アブラハムは望み得ない時に望みを抱いた」と言明しています。アブラハムは、神の約束に基づく希望をしっかりと胸に握りしめ、常識的な考えに立ち向かいました。神の約束を聞いた時、アブラハムは自分が何を待ち、何を受け取るのかを選択しなければなりませんでした。あるがままの状況を受け入れるのか、それとも神の約束を信じて、自分の人生にそれが成就するのを経験するのか、そのどちらかを彼は選ばなくてはならなかったのです。
 では、神の約束を信じて希望を抱くことが、どのように信仰につながっていくのでしょうか? 神はそのために、アブラハムとサラの名前を変えられました。神は、彼らが無いものを有るもののように呼ぶようにされました(ローマ4:17)。
 アブラハムが99歳の時に、主がアブラハムに現れて、彼との契約を更新されました。その契約とは、神がアブラハムの子孫によって国々を祝福するというものでした。この約束が成就するためには、アブラハムもサラも神が言われるのと同じことを宣言し始める必要がありました。彼らは、まず自分の心の中で、神の約束を見始めなければなりませんでした。
 「アブラム」とは「高貴な父」という意味ですが、「アブラハム」とは「多くの者の父」という意味です。「サライ」とは「気高い」という意味ですが、「サラ」とは「王妃」あるいは「王子の母」という意味です。彼らは神の約束が信じられるようになる前に、自分たちを多くの者の父、母として見なければならなかったのです。
 あなたは自分の名前が変わるなんて想像できないでしょう。しかし、アブラハムのように、神が約束されたことを宣言し始めると、私たちの心に希望が芽生えてきます。自分のことを「病んでいる」、「貧しい」、「価値がない」などと言うのはやめて、神があなたについて語っておられることをあなたも宣言し始めてください。

宣言:イエス様の血潮によって、私は癒されました。私には何も欠けるものはありません。私は受け入れられています。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Tサムエル31章、Tコリント11章
              夜・・・エゼキエル9章、詩篇48篇

- 2006-09-05
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