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Osaka Shalom
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9月2日 信仰とは何か?

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)

 信仰とは、私たちが神から受け取った霊的なものです。信仰とは、何かが真実であると信じるだけのものではありません。信仰とは、神が私たちの人生において実現すると言われたことを保証し、確信させるものなのです。
 「保証」ということばは、ギリシャ語では、“ヒューポスタシス(hyupostasis)”と言います。この原語には、「支援」、「現実」、「土台」という意味があります。当時、このことばは「権利証書」について言及する時に用いられていました。信仰は、望んでいる事がらの権利証書であり、土台となるものです。信仰とは、私たちが望んでいる事がらを下から支えるものです。信仰によって、私たちが望んでいる事がらが形になっていくのです。信仰とは、私たちが望んでいる事がらを保証するものなのです。
 上記の聖句を見ればわかるように、信仰と希望は同じではありません。希望を持つとは、将来何かが起こることを期待することです。新約聖書では、「希望」ということばは「願望」を意味しません。原語のギリシャ語では、「希望を持つ」とは「確信を持って期待する」ことを意味します。私たちは、目に見えない領域にあるものを期待するのです。私たちは、まだ目にしていない何かを確信をもって待ち望むのです。
 信仰とは、目に見えないものを確信させるものです。「確信する」ということばは、「証拠・根拠を得る」という意味も含まれます。信仰とは、目に見えないものの存在を証拠付けるものです。上記の聖句の「確信」と訳されているギリシャ語のことばは、新約聖書では、あともう一箇所でしか使われていないことばです。
 Uテモテ3:16には、「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」と書いてあります。この「戒め」ということばが、ヘブル11:1の「確信」(あるいは「証拠・根拠」)と同じ原語なのです。御ことばが私たちの信仰の根拠となります。御ことばが、目に見えない領域に望んでいる事がらが存在することの根拠となるのです。
 ヘブル11:1の「信仰」ということばを「御ことば」に置き換えてみましょう。「御ことばは望んでいる事がらを保証し(望んでいる事がらの権利証書、土台となり)、目に見えないものを確信させる(目に見えないものの根拠となる)ものです。」となります。御ことばがなければ、信仰もあり得ません。
 癒し、地獄や罪からの救い、アブラハムの祝福など、私たちが確信を持って期待していることには、根拠が必要です。目に見えない神とその御国が、私たちにとって現実的なものになる必要があるのです。私たちが神の御国の目に見えない領域でどのように効果的に行動したらいいかがわかるようになるために、神は私たちに御ことばを与えてくださったのです。
 御ことばは、どのようにして信仰を得るべきかについて教えています。ローマ10:17に、「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」と書かれています。私たちが御ことばを聞くと、私たちのうちに信仰が解き放たれていきます。罪や地獄からの救いに関する御ことばを聞くことによって、人は救われます。御ことばによって信仰を得ると、私たちは御ことばに基づいて行動するようになっていきます。信仰によって、御ことばが私たちの生活の中で現実となっていきます。御ことばは、私たちの人生の土台です。私たちは、自分が見たり、聞いたり、感じたりすることによってではなく、御ことばの真理によって生きる者です。御ことばこそ、私たちが信頼すべきものです。あなたは日々、何を信頼して生きていますか?目に見えるものですか?それとも、目に見えないものですか?

宣言:私は、自分が見ること、聞くこと、感じることによって歩んではいません。私は、御ことばを信じる信仰によって歩んでいます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・Tサムエル26章、Tコリント7章
              夜・・・エゼキエル5章、詩篇42-43篇
- 2006-08-31
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