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Osaka Shalom
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10月28日 神の啓示の中で飲む

「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい。」と。また、思慮に欠けた者に言う。「わたしの食事を食べに来なさい。わたしの混ぜ合わせたぶどう酒を飲み、わきまえのないことを捨てて、生きなさい。悟りのある道を、まっすぐ歩みなさい。」と。(箴言9:4−6)

 神はいつも、御自分の臨在と知恵を私たちに現したいと願っておられます。しかし、私たちが神の知恵を受けるには、神の食事を食べて飲むことができるようにならなければなりません。
 クリスチャン生活を送るうえで、私たちは時おり悟りに欠けることがあります。神の御こころを行なうのに必要な超自然的な啓示に欠けることがあるのです。御ことばの啓示がないと、私たちが力を受けて強くなることはありません。クリスチャン生活を生きるのに必要な力が私たちのうちにはないということになるのです。この問題に対して、私たちはどのように対処したらいいのでしょうか? 神の食事を食べて飲むことができるようになればいいのです。
 御ことばから啓示を受け取っていくには、私たちはわきまえのないことを捨てなければなりません。愚かなことをやめなければならないのです。私たちは神の御もとに行き、聖書を開いて神の臨在の中で待ち望むようにしなければなりません。私たちは神の御前で御ことばの糧を食べ、御霊にあって味わい飲む必要があるのです。
 私たちがイエスのところへ行き、その御ことばに耳を傾けるのは、御ことばの生きて働く力を経験するためです。聖書は単なる一冊の本ではありません。神の本なのです。その本の中には神の油注ぎがあります。聖書に書かれているどのことばにも油が注がれています。神のことばは生きていて、力があります(ヘブル4:12)。私たちが御ことばを通してイエスを見るようにすると、私たちの霊の中で神の臨在を明確に経験していくようになります。
 あなたは御ことばに耳を傾ける時間を取っていますか? 聖霊によって祈る時間を取っていますか? 神の臨在にどっぷりと浸かる時間を取っていますか? もしあなたが神とともに過ごす時間を取っていないのなら、あなたはいつも無味乾燥な思いを抱き、渇くようになります。あなたは砂漠のようになるのです。あなたからいのちが流れ出て行くこともなくなり、あなたの周りにいる人々を祝福することができなくなります。ですから、神と二人きりの時間を取り、御ことばを開き、神から啓示を受け取っていきましょう。御ことばから啓示が流れてくるまで、神の臨在の中で安らいでください。
 わきまえのないことを捨てて生きてください。私たちが主の食卓で食べたり飲んだりしないのは、愚かなことです。神は私たちに御ことばと御霊を与えてくださいました。それなのに私たちは何を待っているというのでしょうか? 神の臨在のパンを食べ、神が混ぜ合わせたぶどう酒を飲みましょう。それは新しいぶどう酒で、私たちを喜びと笑いに満たしてくれます。あなたが喜びと賛美に満たされるまで、そのぶどう酒を飲んでください。

宣言:私はわきまえのないことを捨てて、主の食卓につきます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・U列王9章、Tテモテ6章
              夜・・・ホセア1章、詩篇119篇73−96節

- 2006-10-27
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