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10月24日 私たちが神の御顔を慕い求める時に栄光が来る

だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。(詩篇24:3−6)

 神は私たちが神の臨在を経験することを願っておられます。私たちが神を尋ね求める心をもって御前に来ることを願っておられます。では、神を「尋ね求める」とは、どのような意味なのでしょうか?
 ヘブル語の「尋ね求める」には、「大事に思う」、「必要とする」、「注意深く捜す」、「詳しく調べる」という意味があります。私たちが神を尋ね求める時、私たちは神がどのような方かを注意深く捜し、詳しく調べているのです。
 私たちは、神の臨在を待ち望んでいる時に、神を注意深く捜すようにしなければなりません。神がどのような方かを詳しく調べるようにしなければなりません。どうようにしてすればいいのでしょうか? 御ことばを見るのです。私たちが御ことばの中に神を捜し求め、調べるなら、神がどのような方かを理解し、神を見出し、経験できるようになっていくのです。
 私たちが神を尋ね求めるのに妨げとなることがいくつかあります。最初に挙げられているのは、私たちの心が汚れてしまっていることです。神のもとへ行くには、私たちの心がこの世の事々に占められているようであってはならないのです。
 私たちが神を経験するのに妨げとなる2つ目のものは、偶像です。イエスよりも優先されるものは、それが何であっても「偶像」であると言えます。生活の中でイエスが一番になっていない時、私たちは偶像を持っているのです。私たちはそれを認識し、その偶像を打ち砕かなければなりません。私たちが正しい優先順位を保つことは神の目にはとても重要なことなのです。
 3つ目は、私たちの口です。神は、私たちの口から出るすべてのことばをさばかれます。私たちは、自分の口が汚れたことを言わないように気をつけなければなりません。イザヤが神の栄光を経験した時に最初に悔い改めたのは、自分の口のことばでした。イザヤは自分の口が汚れていることを知っていたのです。私たちは、他の人々や自分自身を呪うことばを口にしないように気をつけなければなりません。
 私たちが自分自身を罪からきよめると、心から神を尋ね求めるようになります。神を捜し求め、神の栄光を見出すようになります。神の御顔を慕い求め、神の臨在から来る祝福を受け取るようになります。私たちが神の臨在の現れを求めて時間を費やすなら、神が、救いや癒し、供給や打ち破りといった祝福を送ってくださるのです。では、質問します。あなたは神を尋ね求めていますか?

宣言:父なる神様、今日、私はあなたを尋ね求めます。あなたの臨在について詳しく調べます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・U列王5章、Tテモテ2章
              夜・・・ダニエル9章、詩篇117−118篇
- 2006-10-23
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