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Osaka Shalom
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10月21日 イエスはどうしても必要なことは一つだけだと言われた

彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。・・・主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:39、41)

 「どうしても必要なことは、一つだけです」というイエスのことばには、重みがあります。神の御国についてイエスが教えてくださるあらゆることの中で、「主の足もとに座って、御ことばに聞き入ること」が、たったひとつの「どうしても必要なこと」だと、イエスはここで教えておられるのです。
 このマルタとマリヤの実話の中には、2つのクリスチャンのタイプが見て取れます。先に確認しておきますが、この2人のどちらも、罪を犯していたわけではありません。イエスによると、マリヤのほうが「良い方」を選んだのです。
 では、マリヤが選んだ「良い方」とは、どのようなことだったのでしょうか? それは、座ってイエスのことばに耳を傾け、そのことばが自分の心に満ちていくのを経験することだったのです。この良い方とは、臨在する神の愛と力によって生かされるという、安息をもたらす生き方のことです。マリヤはこの生き方を選び、平安と安息を見出したのです。
 これに劣る、もう一方の生き方とは、どのようなものでしょうか? それは、自分が努力して多くのことを行なうことで、神を喜ばせようとする生き方です。数々の祈りのリストや長い‘やるべきこと’のリストなどを持つことによって、大切ではない多くのことに気が取られてしまっている生き方です。主のために何かをしていても、決して満足することがなく、欲求不満になってしまうような生き方です。これを選んだ人はいつも、主のために一所懸命働いていない人々に腹を立てています。マルタはこの生き方を選んでいたので、ストレスを溜め込み、怒ってしまったのです。
 マルタが主のためにしていたことは、悪いことではありませんでした。彼女は主をもてなす準備をしていたのです。しかしマルタは、神が自分の家に来てくださり、御ことばを語ってくださるという現実を認識していませんでした。マルタは主のために働くのに忙しすぎて、主に礼拝を捧げることを忘れてしまっていたのです。
 新約聖書では、礼拝するとは、死んだ人のようになってひれ伏すことを意味します。また、犬のように主人の足をなめるという意味もあります。マリヤはイエスの足元に座り、御ことばに耳を傾けることを選びました。彼女は、主に御ことばによって自分を強めていただくことを選んだのです。
 私たちのクリスチャン生活においては、主のために働くことだけに終始することがないように気をつける必要があります。私たちが日ごとにイエスの御もとに座り、御ことばを通してイエスが語られることばを聞くことを学ばなければ、神の臨在に対する情熱を失ってしまい、イエスのためにすることを全部楽しめなくなってしまいます。私たちはマルタのようになってしまい、心配したり、腹を立てたりするようになります。ですから、たったひとつの「どうしても必要なこと」である、「主の足もとに座って、御ことばに聞き入ること」を実践していきましょう。ここでもう一度確認しますが、「御ことばに聞き入る」とは、「御前に静まる」ことです! 今日は聖書を開いて、イエスの語られることに耳を傾けましょう。

宣言:主よ、今日私はあなたの足もとに座り、あなたの御声に耳を傾けます。
 
今日の聖書通読箇所:朝・・・U列王2章、Uテサロニケ2章
              夜・・・ダニエル6章、詩篇112−113篇
- 2006-10-20
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