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Osaka Shalom
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10月17日 さらなる栄光を経験していく

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(Uコリント3:18)

 神は、私たちがさらなる栄光を経験していくことを願っておられます。私たちがひとつの栄光の領域から次の栄光の領域へと進んでいくことを願っておられます。私たちが毎日、神の栄光をますます経験していくようになることを願っておられます。
 どうすれば、このようにさらなる栄光を経験できるのでしょうか? 上記の聖句では、私たちが主の栄光を目を凝らして見ると(訳注:「鏡のように主の栄光を反映させる」は、新改訳聖書の欄外に記載されている別訳では、英語訳聖書と同様に「主の栄光を鏡に映すように見る」となっている)、私たちは栄光から栄光へと主と同じかたちに姿を変えられていくと教えられています。「目を凝らして見る」ことが、私たちが栄光の領域にとどまるために非常に重要な鍵となるのです。
 「目を凝らして見る」とは、どうすることでしょうか? 私たちは自分の心の目でいつも何かをじっと見ています。私たちは絶えず何かについて、または誰かのことを考えています。もし私たちがイエスに自分の思いを向け、イエスのことを考え続けるなら、私たちは栄光から栄光へと移っていくようになるのです。
 聖書は、私たちは自分が見るもののようになっていくと教えています。もし私たちがいつも悪魔の働きに目を留めていると、私たちは悪魔の暗闇の王国を経験していくようになります。しかし、もし私たちが王の王であり主の主であるイエスに絶えず自分の思いを向けているなら、私たちは光の王国を経験していくようになるのです。
 私たちの思いは心へと続く開かれた扉ですから、私たちが思い巡らすことは私たち自身に影響を及ぼします。私たちが御ことばによって主に関わる事々を思い巡らすことができるなら、実際にそれらの事々を経験していくようになります。私たちはこのように、書かれた神の御ことばによってイエスを「目を凝らして見る」ことができるのです。
 あなたは思いをもって思いと闘うことはできないことを知っていましたか? 否定的で非聖書的な思いは、書かれた神の御ことばによってのみ打ち砕き、取り除くことができるのです。私たちが自分の口で御ことばを宣言すると、それが耳を通って私たちの思いに届き、その御ことばを思い巡らすことができるようになります。
 私たちが御ことばに目を留め、神がどのような方かを見て感謝する時、私たちは目を凝らして神を見ているのです。私たちが、神がどのような方かを知って、神に感謝することができるかが鍵です。神のいつくしみ深さや力、愛や優しさに目を留めたら、私たちは感謝せずにはいられなくなります。イエスの満ち満ちたさまを見れば見るほど、私たちは栄光から栄光へと変えられていきます。私たちは目を凝らしてイエスを見ることによって変えられるのです。

宣言:主よ、私はあなたのいつくしみ深さ、あなたの愛に目を留めます。私は今、あなたのことを思い巡らします。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T列王20章、Tテサロニケ3章
              夜・・・ダニエル2章、詩篇106篇
- 2006-10-16
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