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Osaka Shalom
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10月11日 あなたは主を待ち望む者ですか?

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:31)

 私たちは、待つことが当たり前でない時代に生きています。私たちは、何でもすぐに手に入ることを喜びます。インスタント・ヌードル、ファースト・フード、そして多くの人が利用しているコンビニなど、私たちは必要な時に必要なものをすぐに手に入れなければ気がすまない生活をしているのです。
 問題は、このインスタントの生活スタイルを人生のすべてのことに当てはめることはできないということです。神との関係において、神は私たちが神を捜し求めることを期待しておられます。捜し求めるとは、神に何かをくださいと願うことだけを意味しません。私たちは、神を捜し求め、神を待ち望むように命じられています。私たちが神の臨在の現れを捜し求めて待ち望むなら神を見出すと、神は約束しておられるのです。
 あなたは神を知りたいと願っていますか? 神の愛と平安を知りたいと思っていますか? 霊的な領域で起きている事を見ていきたいと思っていますか? ことばに言い尽くせない喜びで満たされたいと思っていますか? これらは、わずか10分の祈りの時間で可能になるものではありません。神は御人格を持っておられます。神は愛なる方です。神はコミュニケーションを求めておられます。御自分の愛をあなたに分かち合いたいと願っておられます。私たちはそのように神と交わるために創造されました。しかし、私たちが神と楽しく価値のある時間を過ごそうとしないのなら、そのような神との交わりを持つことはできません。
 神を捜し求めるとは、どのようなことなのでしょうか? それは、神を礼拝し、御ことばを思い巡らしながら、その臨在の中で神を待ち望むことを意味します。イザヤは、「神を待ち望む者は新しく力を得る」と語っています。私たちが神の臨在の中で待ち望む時、新しい力に満たされていくのです。自分の弱さを感じる時こそ、私たちは静まって神を礼拝し、神の力が私たちのうちに満ち溢れていくことを期待する必要があるのです。これは、あなたも私も自分の霊で感じることができるものです。
 あなたは今までに、自分が空を飛んでいるように感じたことがありますか? 神の臨在があなたの心を満たす時、そのようなことが起こります。 あなたはまるで、自分のいろいろな問題を違う視点で見ているように感じるのです。その時、あなたは天国の視点で物事を見ています。私たちが礼拝の中で神を待ち望んでいると、神の風が吹いてきます。私たちはその風に乗って、神の栄光の中をどんどん高く昇って行くのです。
 イザヤはまた、私たちが神を待ち望むなら、霊的に走ることができるようになり、しかも走っても疲れないと語っています。霊的に走るとは、私たちがヴィジョンを持ってすばやく成長することです。あなたは、私たちが信じることをやめるのは自分が疲れている時だと気づいていましたか? 簡単に前進することをあきらめるクリスチャンがいるのは、彼らが神の御前に静まって、神の栄光に浸る時間を持っていないからなのです。
 神の臨在の中で待ち望むことによって、私たちはきよい歩みをすることができるようになります。私たちは、自分が仕える主に話しかけていただき、満たしていただかなければ、毎日をきよく生きることはできないのです。

宣言:私は主を待ち望みます。主よ、私のうちにあなたの御こころをなしてください。私を満たしてください。私を変えてください。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T列王14章、コロサイ1章
              夜・・・エゼキエル44章、詩篇97−98篇
- 2006-10-10
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