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Osaka Shalom
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10月10日 あなたのものにならないのはあなたが願わないからです

あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。(ヤコブ4:2)

 肉の欲、怒り、妬み、争い、仲たがいなどはどれも、クリスチャンの世界でもよく見受けられることです。未信者が苦闘していることを、クリスチャンもまた同じように苦闘しているのです。しかし、それが普通のクリスチャン生活であっていいのでしょうか? 私たちは実際に、愛や喜びや平安を毎日の生活の中で享受していくことができるのでしょうか? もちろん、できます。
 私たちが神の臨在を経験できないのは、私たちがすでに自分のものになっているものを願い求めていないからです。ですから、私たちがすでにキリストを心に迎え入れているにもかかわらず、キリストの臨在が私たちの生活から流れ出ているようには見えないのです。
 神の臨在は、私たちの生活に自動的に現れるものではありません。私たちは神の御こころが成るように祈り求めなければなりません。私たちが神の臨在を経験したいと思っていても、それを求めないなら、実現することはありません。
 マタイ7:7で、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」と教えられています。求めなければ、私たちが受けることはありません。私たちが捜し求めなければ、神を見出すことはありません。私たちが叩かなければ、神の栄光の扉が開くことはないのです。
 求め、捜し、叩くことは、私たちがすべき分です。神はそれに応えて、与え、啓示し、現してくださる方なのです。モーセが神に栄光を見せてくださいと願い求めた時、神はそれに応えて、モーセに栄光を見せてくださいました。人は自分が求めたものを人生の中で受け取っていくのです。あなたが蒔くものを、あなたは刈り取るのです。
 では、私たちは何を求めるべきなのでしょうか? 神の栄光がもっと私たちのうちに、また私たちを通して現れていくことを求めるべきなのです。私たちは、神の満ち満ちた栄光が私たちのうちに現れることを求めるべきです。神が愛で私たちを満たしてくださることを求めるべきです。神がすでに与えてくださっているものをひとつ残らず求めたら、私たちは神の臨在の中で待ち望むことができるのです。
 あなたは、私たちが求める段階にとどまっていると、神の臨在の現れを経験し損ねてしまうことを知っていましたか? 私たちが伝統を守り、宗教活動を行なうことに思いが縛られて、自分がすべきだと思っている事だけを求めていると、そうなってしまいます。イエスは、捜す段階もあれば、叩く段階もあると教えておられます。
 神は、私たちが神の栄光を求めたら、それを経験することも期待してほしいと願っておられます。私たちが満たされて、自分の職場ですばらしい祝福をもたらす者になってほしいと願っておられます。私たちが大いに祝福されているのを見て、人々が私たちの持っているものを自分もほしいと願い求めるようになることを願っておられます。そのようになっていくためには、私たちは神の臨在の中で待ち望むことを学んでいかなければなりません。キリストが私たちを通して流れていくようになると、私たちはキリストの証人となるのです。

宣言:父なる神様、私はあなたの臨在を経験し、味わいたいです。私は今、静まって待ち望みます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T列王記13章、ピリピ4章
              夜・・・エゼキエル43章、詩篇95−96篇
- 2006-10-09
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