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Osaka Shalom
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10月7日 感謝と賛美を捧げつつ主の臨在にとどまる

感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ(詩篇100:4)。

 イエスの血によって神の臨在に近づいて行こうとする時、私たちは神がしてくださったことすべてを感謝することによって初めて、御前に出ることができます。私たちはいつも神がすでにしてくださったこと、特に十字架の御わざを感謝すべきですから、賛美の前にまず感謝を捧げるのです。
 モーセの幕屋には門があり、人々はその門を通らなければ中に入ることができませんでした。門を通って行くと、そこには幕屋の外庭がありました。中へ進んで行くと、まず見えてくるのは、血を流す捧げ物が捧げられていた青銅の祭壇でした。人々が最初に目にし、嗅いだ匂いは、イスラエルの民の罪のために捧げられていた動物犠牲の血だったのです。
 神の臨在に近づく時に私たちが忘れてはならないのは、イエスが御自分の血を流された十字架の御わざです。イエスの十字架の御わざを心に刻み込むことによって信仰の確信を得ると、私たちはキリストによって受けたものすべてを喜んで受け取れるようになっていきます。
 青銅の祭壇を過ぎると、次に祭司たちが目にしたのは青銅の洗盤でした。ここで祭司たちは自分の身を洗いきよめていました。これは神の御ことばの型です。御ことばとは、イエス・キリストのことです。私たちがキリストを見るなら、賛美が心から溢れてきます。イエスはいつくしみ深く、その愛は永遠に続きます(詩篇100:5)。イエスは御自分が約束されたことに忠実な方です。神は、決して私たちから離れず、私たちを捨てないと約束してくださっています。この約束があるので、何かを神に祈り求める前から、私たちは神を信頼し、賛美することができるのです。
 神に感謝と賛美を捧げる時、私たちは神の臨在の中に入って行きます。私たちは、神の臨在の現れをますます経験していくようになります。神に賛美を捧げ、栄光を帰すと、神の御前に引き寄せられて行くのです。
 私たちが神との交わりの時間を何かを祈り求めることから始めると、神の臨在を楽しむ時間を持てなくなります。私たちは、まず神を礼拝し、神の願いに応えるために御前に行くことを忘れてはなりません。私たちの父なる神は、私たちがなぜ御前に行くのかを知って欲しいと願っておられます。私たちは、神を愛し、神とともにいたいから御前に行くのですか? それとも、神から何かをいただきたいから行くのですか? そして、次の緊急時までは神のことを無視するのでしょうか? 愛なる方である神は、御自分の子どもたちの愛を受けたいと願っておられます。神は、御自分の御手のわざだけでなく御顔を慕い求める者を祝福したいと願っておられます。神は、御顔を慕い求める者に御自分の栄光をもって豊かに報われる方です。愛こそが、私たちのお父さんの心を開く鍵なのです! 心から神を愛しましょう!

宣言:父なる神様、私はあなたを愛しています。私は、あなたからいただくだけでなく、あなたに私の愛と礼拝を捧げるために御前に参ります。父なる神様、私は、あなたが望まれるだけあなたを愛していきたいです。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T列王記10章、ピリピ1章
              夜・・・エゼキエル40章、詩篇91篇
- 2006-10-03
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