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Osaka Shalom
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10月4日 イエスはあなたの中にとどまりたいと願っておられます

わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。(ヨハネ15:4)

 ヨハネ15章で、イエスは弟子たちに、イエスにとどまらなければ彼らは何もすることができないと説明しておられます。「イエスにとどまる」とは、「いつもイエスとともにいる」ということです。言い換えれば、「イエスと交わり続ける」ことを意味するのです。
 イエスは、聖霊によって、すでに私たちのうちにおられます。神のいのちは私たちのうちに存在し、イエスが私たちのうちに、また私たちを通して行なわれようとする事々を生み出しています。このイエスのいのちを見れば、イエスが私たちのうちで、また私たちを通して、何を行ないたいと願っておられるのかがわかります。イエスは、私たちを通して御自分のいのちを生きることによって、御自分を再び現そうとしておられます。イエスが私たちに生きるように願われたこのいのちは、イエス御自身によってのみ全うされるのです。
 私たちが自分の力でクリスチャン生活を送ろうとすると、私たちの生活は非常に難しいものになっていきます。イエスは私たちの生活をとても単純なものに変えてくださいました。私たちはただ、イエスに従えばいいのです。イエスが私たちに要求しておられることは、わずかひとつです。それは、いつもイエスとともにいることです。イエスはただ、私たちが自分の人生をイエスにすべて委ねることだけを求めておられるのです。
 私たちの人生に平安がない時があるなら、それは、私たちが1人で奮闘していることが原因です。神に従うために奮闘するのは、神の御こころではありません。私たちは、うちに住んでおられるキリストの力と愛に憩うべきなのです。私たちがイエスの愛と力に自分の人生をすべて委ねる時、イエスの臨在がすべてのことを行なってくださいます。私たちが自分の働きをやめてイエスを信頼し始めたら、イエスが代わりに働いてくださいます。私たちが弱さを感じる時でも、イエスが私たちを通して流れてくださいますから、私たちは強くなれるのです。
 人生で実を結んでいないように見えるクリスチャンがいるのは、どうしてでしょうか? その理由の1つに、彼らが新生した後、自分の力でクリスチャン生活を送っていかなければならないと思ったことが挙げられます。彼らは、永遠のいのちを受けるために自分は何もできないということを忘れてしまっているのです。キリストのいのちである永遠のいのちは、決して努力して得られるものではありません。生きた信仰によって受け取るものなのです。私たちがすべてをキリストに従わせる時、イエスが私たちを通して御自分のいのちを生きてくださいます。その時、私たちは実を結び始めるのです。
 私たちが実を結んでいくには、イエスの臨在が必要不可欠です。神の御こころを行なうには、イエスと交わり続ける必要があります。私たちは、イエスの臨在が私たちのうちに、また私たちを通して現れていくのを妨げる独立心を手放さなければなりません。あなたはイエスの臨在に対して準備ができていますか? イエスがあなたの中にそのきよさを吹き込んでくださるので、あなたは心から罪を憎むようになります。そのための心備えはできていますか? キリストの愛に触れると、あなた心は柔らかくなります。そのための心備えもできていますか? イエスは準備ができておられます。あなたはどうでしょうか?

宣言:イエス様、わたしを通してあなたのいのちを生きてください。私の意志をあなたに従わせます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T列王7章、エペソ4章
              夜・・・エゼキエル37章、詩篇87−88篇
- 2006-10-03
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