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10月3日 神はあなたに御自身を現してくださる

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。(ヨハネ14:21)
・・・だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(ヨハネ14:23)

 私たちのうちでどれぐらいの人が神に御自身を現していただきいと本当に願っているでしょうか? どれぐらいの人が神に来ていただき、ともに住んでいただきたいと願っているでしょうか? 神はすでにこのことを、キリストを愛し、従う者に約束してくださっています。神を愛するがゆえにその命令に従う者には、神の臨在の現れは約束されているのです。
 では、「神の戒め」とは何でしょうか? 神の臨在の現れを経験していくには、私たちは何をしなければならないのでしょうか? 同じ説教箇所(ヨハネ13章〜16章)で、イエスは弟子たちにその戒めについて教えておられます。
 ヨハネ15:12で、イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです」と語っておられます。ヨハネ15:17でも、「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです」と語っておられます。イエスははっきりと、父から受け取った戒めとは「愛のうちを歩むこと」だと教えておられるのです。
 使徒ヨハネは、彼の手紙の中で非常に似通ったことを書き記しています。ヨハネは、もし私たちが神の命令を守るなら、神から何でもいただくことができると語っています。彼は、「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです」と教えています(Tヨハネ3:23)。
 私たちの生活の中で神の臨在がとどまるために私たちが守り続けるべき命令とは、「信仰と愛のうちを歩み続けること」です。私たちがイエスを信頼し、お互いに愛し合って歩むなら、神の臨在を保ち続けることができるのです。神は御自身を私たちに現してくださり、私たちは神の臨在がいつも私たちのところにとどまるのを経験していけるのです。つまりこれは、私たちがいつも神の臨在の中で生きていくことができるということです。
 なぜ信仰によって歩むことが重要なのでしょうか? 信仰がなければ私たちは神を喜ばせることができないからです(ヘブル11:6)。なぜお互いに愛し合って歩むことが重要なのでしょうか? 神が愛であり、愛のあるところにしかとどまることができない方だからです。神は、争いや赦さない心があるところにとどまることができません。平和がないところにとどまることができないのです。神は私たちに御自分を現し続け、私たちのうちに住まうことができるように、私たちが愛のうちを歩むことを願っておられます。信仰から来る従順と愛は、イエスが御自身を現されるのに必要不可欠なものなのです。

宣言:私が愛のうちを歩んでいるので、神は私に御自身を現してくださいます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T列王記6章、エペソ3章
              夜・・・エゼキエル36章、詩篇86篇
- 2006-10-02
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