header header
spacer
spacer
spacer
Osaka Shalom
OsakaShalom.com
10月2日 イエスはあなたのうちにおられる

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。・・・その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。(ヨハネ14:18,20)

 キリストのからだである教会には、「孤児のメンタリティー(心的傾向)」のある人々が見受けられます。イエスがいつもともにおられることがわかっていないので、何かのことで落ち込んでしまい、喜びもなく生活しているクリスチャンがいるのです。そのような人は、自分がずっと切望してきたものをすでに全部受け取っていることを理解していません。イエスの喜びがすでに自分の心にもあることにも気づいていないのです。私たちの心にイエスがおられることに無知であれば、私たちは自分がまるで孤児であるかのように感じてしまいます。
 イエスは、神の御霊が注がれ、私たちの心に来られたら、私たちがイエスのうちにおり、イエスが私たちのうちにいることがわかるようになると言われました。これは何を意味しているのでしょうか? イエスは、私たちとイエスの関係は、イエスと父なる神の関係と同じだと言われたのです。イエスは父なる神におり、父なる神はイエスのうちにおられます。イエスと父なる神はひとつです。父なる神が知っておられることを、イエスも御存知です。父なる神が持っておられるものを、イエスも持っておられます。父なる神が経験しておられることを、イエスも経験しておられるのです。
 私たちはキリストにおり、キリストは私たちのうちにおられます。私たちがこのことを信じて、イエスに心を開くなら、キリストの臨在を感じるようになっていきます。イエスが持っておられ、経験しておられる愛や平安や喜びを、私たちも経験するようになっていきます。しかし反対に、私たちがこのことを信じられなければ、イエスに向かって私たちの愛の心を開くことは難しくなります。
 黙示3:20で、イエスは、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」と語っておられます。これは、ラオデキヤにある教会に対するイエスのことばです。教会の人々はイエスを心に迎えていたのですが、その存在を無視していました。実際は、イエスを彼らの心から追い出してしまっていたのです。
 イエスは、そんな彼らに腹を立てることも、彼らのもとから去って行くこともなさいませんでした。それは、イエスがすでに、「決してあなたがたを捨てない」と約束しておられたからです。たとえ私たちが罪を犯し、反抗しても、イエス変わらずに私たちとともにいてくださいます。しかし、私たちが扉を開けてイエスを迎え入れないのなら、イエスは私たちと親しく交わることができません。私たちはイエスが自分の心にいてくださることを信じて、扉を開けなければなりません。信仰と愛の扉は開かれなければならないのです。私たちがイエスを招き入れ、心から歓迎しなければ、イエスが私たちと親しく交わることはありません。
 あなたはイエスの臨在を味わっていますか? あなたの心は、キリストの愛、平安、喜びに満ちていますか? あなたがしなければならないのは、信仰の扉を開けることだけです。これは、あなたが新生した時に一度したことですが、神の臨在を楽しむためには、あなたはイエスに心を開き続けていかなければならないのです。イエスはあなたを愛しておられ、あなたに御自分の愛を知ってほしいと願っておられます。

宣言:イエス様、私はあなたの御臨在に対して心を開いています。今、私のところに来て、私を満たしてください!

今日の聖書通読箇所:朝・・・T列王記4−5章、エペソ2章
              夜・・・エゼキエル35章、詩篇85篇
- 2006-10-01
header
header