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Osaka Shalom
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11月19日 不道徳に打ち勝つには(1)

すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。(Tヨハネ2:16−17)

 人間は本質的に肉の欲を満たそうとするものなので、不道徳な行為は決して珍しいものではありません。人の肉の性質は、官能的な満足感や達成感を渇望するものなのです。しかし、そのように官能的な満足感を渇望する人は、それが死に至るものであることを理解していません。これこそが、姦淫や不道徳な行為、性的倒錯の根となるものなのです。
 不純な行為の根となるものがある証拠として、実際にどのようなことが挙げられるでしょうか? 人に不純なものがある時、性的なことを話したがります。道徳的に汚らわしいものを見たり読んだりすることを好みます。その人が聴く音楽の種類にも、その影響が現れます。性的なことを連想させる音楽を聴きたかる人は、汚れた思いを持っています。
 汚れた思いを持っている人は、空想や夢想にふける傾向があります。これにはポルノを見ることも含まれます。そのような人が汚れたものを見たり、読んだりする時は、その思いが空想でいっぱいになっているのです。神は、これは姦淫であり偶像礼拝であると言われました。
 他の人に挑発的な言い方をして迫る人もいます。ことばにするほどの大胆さがない人は、性的にアピールするような服を着たりします。そのように着飾ることで、他の人を不純な行為に誘おうとしているのです。
 汚れた思いを持つ人はまた、「見ること」に好奇心を抱いています。自分の肉が欲するままに見たがるのです。そのような人が日中よりも夜遅い時間帯を楽しみにしているのは、このためです。これは、もちろん、すべての人に当てはまることではありません。中にはただ夜遅く寝るのが好きだと言う人もいるからです。
 不純行為の結果、人はどうなるのでしょうか? そのような人は、非常に疲れやすく、怠惰です。よく落ち込みを経験します。自分が汚れていると感じているので、権威者を避けようとします。汚れた思いがある人は、教会があまり好きではありません!
 では、私たちはどのようにして不道徳に打ち勝てばいいのでしょうか? 私たちはまず、神に赦しを求めなければなりません。それが罪であることを認めなければなりません。不道徳な行ないだけでなく、思いも罪なのです。その不道徳な行為や思いが神や人との関係を壊しているのですから、私たちは直ちにそれをやめて、悔い改める必要があります。肉欲は愛とは全くかけ離れたものです。肉欲を抱いている人は、神の愛の中にとどまることができません。
 私たちは、性的な欲望をかき立ててしまうような状況を避けるようにする必要があります。映画やテレビ番組、雑誌やインターネットなどで、私たちを罪に誘うものは見ないようにすべきなのです。あなたの話を聞いて助けてくれる人を見つけ、それによってあなたがいつでも自分の行動について釈明できるようにしてください。

宣言:私は不道徳から身を避けることを選び取ります。自分のあらゆる汚れた思いを叱りつけます。

今日の聖書通読箇所;朝・・・T歴代13−14章、ヤコブ1章
              夜・・・アモス8章、ルカ3章
- 2006-11-18
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