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Osaka Shalom
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11月16日 あなたは苦々しい思いを抱いていませんか?

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ4:32)

私たちの肉の性質は、自分を傷つけた人を赦すのにひどく葛藤を覚えます。私たちはまた、自分が人を傷つけるようなことをした時に赦しを求めるのにも葛藤を覚えるものです。私たちは容易に人のことばや行ないによって感情を害され、仕返しに相手の感情を害するようなことをしてしまいます。この罪が多くの憎しみや争いを引き起こしているのです。
 苦い根を持った人とはどのような人でしょうか? 苦々しさを抱えている人の表情はいつも暗く、悲しみに満ちています。怒りや赦せない思いに囚われていると、人生の幸せを感じることが難しくなります。
 批判的で皮肉っぽい人は、たいてい苦々しい思いを抱いています。そのような人は憤りを感じているので、周りにいる人々をあざけることが、そのはけ口になっているのです。苦々しい思いがある人は、人が好きではありません。彼らは、自分が惨めさを感じているので、周りにいる人も皆、惨めな思いをすればいいと思っています。これはひとつの悪循環です。
 苦々しい思いがある人は、人や神を信頼することにも葛藤を覚えます。人に傷つけられるのを避けるために、神が彼らの人生に置かれた人にさえ距離を置いてしまいます。結婚関係にこれを持ち込むと、ひどい嫉妬が生じてきます。
 苦々しい思いはまた、数々の病気や落ち込みを引き起こします。人を疲れさせ、睡眠不足や慢性疲労をもたらします。私たちのからだは感情の状態に反応するものだからです。私たちが自分の魂に混乱や葛藤を経験していたら、それがからだに現れてくるのです。私たちの魂がリラックスできなければ、からだもリラックスできません。からだは健康を保つのに充分な睡眠を必要としているのです。
 この世は苦々しさで満ちています。人々は、赦すことは弱さのしるしだと思っています。人々は、自分が何か間違ったことをしたり言ったりした時に、自分から謝るのは難しいと感じています。自分を傷つけた人は赦すに値しないと思っているので、自分から赦すこともしません。自分が相手を赦すのにも、ここまでという限界があるべきだと思っているのです。
 イエスは、私たちは人を赦さなければならないと教えられました。イエスは、相手が何をしたかにかかわらず、私たちはその人を私たちのさばきから解放する必要があると教えられたのです。私たちは、その人を神のさばきの御手に委ねるようにと教えられています。私たちは、どのような人でも赦し、心に平安を保って、いつも健康でいるべきです。イエスがすべての人を赦されたように、私たちもすべての人を赦していかなければなりません。

宣言:私は、私を傷つけた人を皆、私の手から解放します。私は彼らを主のさばきに委ねます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T歴代7−8章、ヘブル11章
              夜・・・アモス5章、ルカ1章1−38節

- 2006-11-15
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