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11月15日 柔和になって怒りに打ち勝つ

柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。(マタイ5:5)

 すでに学んだように、私たちは自分の権利が侵された時に怒ります。そのような時、私たちは神に信頼して人生を導いていただくことをせずに、自分の力で何とかできると思っているのです。怒りの感情に打ち勝とうと思うなら、私たちは柔和さを身につけていかなければなりません。
 私たちに柔和さが現れてくるのは、私たちが神に信頼し、神に供給していただき、神に守り助けていただき、置かれた状況を変えていただこうとする時です。私たちが完全に信頼できるのは神以外におられません。ですから、私たちが自分の力や人を頼ろうとするなら、その都度腹を立てることになるのです。私たちは、自分の人生に起きるすべての事を神の視点で見ることを学んでいかなければなりません。私たちは、神の御ことばによって、自分の置かれた状況を見ていかなければならないのです。
 自分の権利が侵されていると思うと、私たちは腹が立ってきます。そのような状況が生じた時、私たちは立ち止まって、神がその中で何をしておられるのかを見ていかなければなりません。神が私たちを試みておられるのでしょうか? それとも、サタンが私たちを滅ぼそうと働いているのでしょうか? 私たちの人生に起こる多くの事は、私たちの人格を試すためにやって来ます。神はいつも、私たちが問題を抱えた時に誰を頼るのかを知りたいと思っておられるのです。
 柔和であるとは、人が私たちの人権を踏むにじることを許すことではありません。私たちが自分の怒りをコントロールできているなら、その時私たちに柔和さが現れていると言えます。何か事が生じた時、私たちはまず、神の御こころや御計画に自分の意志を従わせていかなければなりません。そのようにするなら、私たちは置かれた状況を神の視点から見ることができるようになります。そうなれば、私たちは自分のうちにある怒りを問題解決のために用いることができるようになるのです。
 あなたは自分の権利をすべて神に返していますか? 自分の良い評判を主に返していますか? あなたの所有物に関してはどうですか? もし主があなたに全財産を貧しい人々にあげるように命じられたら、あなたは従うでしょうか? あなたのプライバシーや食べたり寝たりする権利についてはどうでしょうか? 私たちが神の御こころに従っていると、時にはとても楽しみにしているプライベートな時間さえあきらめなければならないこともあることを、あなたは知っていましたか? 人生には平和な時期もあれば、戦いの時期もあります。 ダビデは教会が戦っている時に、自分だけ休息したことがありました。その時、ダビデに何が起こりましたか? 彼は誘惑に負けて、姦淫の罪を犯してしまったのです。その時の神の御こころは、彼が自分の兄弟たちとともに戦うことでした。
 自分には多額のお金を所有する権利があると信じているがゆえに、完全に神の御こころを見失っている人もいると、私は思います。そのような人は熱心にお金を追い求めてはいても、神の御こころについて考えるということさえしません。確かに神は、私たちがお金や物を所有することを望んでおられます。しかし、私たちが神の御こころの中にいなければ、この世のすべての富をもってしても、私たちを満足させることはないのです。私のことばが信じられないのなら、ソロモンに聞いてみてください! 柔和な人だけが神に従うことができます。

宣言:私の権利や特権は、神の御こころを行なうためにあります。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T歴代5−6章、へブル10章
              夜・・・アモス4章、詩篇148−150篇
- 2006-11-14

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