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11月14日 悪い怒りとはどのようなものか?

怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。(箴言16:32)

 新生した時、私たちは愛と思いやりをもって歩めるように再創造されました。私たちは、自分の敵を赦して祝福することができる心を受け取ったのです。しかしながら、私たちの罪深い性質が依然として私たちに影響を与えているので、私たちは今でも非常に自己中心的になりがちです。
 私たちの権利が侵されたり、私たちが自分勝手な願いを叶えようとするのを妨げられたりすると、私たちは、その身勝手さのゆえに、その状況に対して怒りをもって反応してしまいます。それが原因で、この世の中では多くの殺人や戦争が起きているのです。聖書は、戦争があるところには人の自己中心的な欲望があると教えています。人々の間に争いがある時にも、この欲望が関係しているのです(ヤコブ4:1−2)。
 では、怒りとはどのようなものでしょうか? 早くも乳児の中にも、怒りが見受けられます。乳児は自分がしたいことができなかったら、あるいは欲しいものがもらえなかったら、怒りを表します。自分のやりたいようにできない時、かんしゃくを起こすのです。そして、私たちはそのかんしゃくが乳幼児期に限らないことを知っています。大人の中にも、自分の欲しいものが手に入らない時に、よくかんしゃくを起こす人がいるのです。
 自分の人生に不公平さを感じる時にも、怒りの感情を抱くことがあります。誰かが自分を他の人と同じように扱ってくれない時、私たちは怒り、大声を上げてわめきたてるようなことをしてしまいます。私たちは、人生とは不公平なものだということを肝に銘じておかなければなりません。私たちはそれに腹を立てるのではなく、自分に与えられているものを一つひとつ感謝すべきなのです。
 怒りはまた、変えることができない環境に対してフラストレーションを感じるという形で現れてくることもあります。あなたは自分ではどうしようもない環境に身を置いたことがありますか?あなたはもしかしたら今、そのような状況にあるのかもしれません。そのような時には、気をつけていないと、私たちは平安や喜びを失い、とても苦々しい思いに囚われてしまいます。苦々しい思いは、私たちの健康に決して良いものをもたらしません。ですから、そのような時には、状況を神に委ねて、神を信頼してください。
 怒っている人はまた、ぶつぶつと不平を言ってしまいます。不平は怒りがもたらす実です。私たちが自分では変えることができないことにフラストレーションを感じているので、不平をもらすのです。人生のすべてのことに不平を並びたてている人は、自分の人生やそれに関わるすべての人に対して怒っているのです。そのような人と一緒にいるのは、とても辛いことです。
 怒っている人はまた、感謝することができない霊を持っています。彼らは、自分は助けてもらって当然だと思っているので、神や手を差し伸べてくれている人に感謝することができません。そのような人は、人は皆、自分の願いどおりに動くべきだと思っています。そのような人が神の恵みを経験することはありません。
 過剰なほど敏感に反応したり、神経質であったりすることも、その人が怒りの感情を抱いている証拠です。怒っている人を矯正したり教えたりするのは、非常に難しいことです。彼らがこれ以上他人に自分の人生を踏みにじらせてなるものかと身構えているからです。そのような人がイエスの啓示を受けて成長していくことはありません。

宣言:父なる神様、私は自分の身勝手な権利を主張することをやめて、あなたに完全に依り頼みます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・T歴代3−4章、ヘブル9章
              夜・・・アモス3章、詩篇146−147篇
- 2006-11-13
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