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Osaka Shalom
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11月12日 怒りは正しく用いるならあなたの益になる

イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。(マルコ3:5)

 イエスは、当時の宗教的な人々の頑なさに怒られました。彼らが自分の周りにいる人々を進んで助けることもなく、ただ神の御わざを批判してやめさせることばかりに固執していたからです。イエスはまた、宮で売り買いしている人々を皆、むちで打って追い出すほどに怒られたこともありました。イエスが怒られたのは、彼らが神に祈り、神を賛美するはずの宮をそのように商売に使っていたからです。神の家を思う熱心がイエスを食い尽くしていたのです(ヨハネ2:17)。
 私たちは、イエスが一度も罪を犯さなかったことを知っています。つまり、怒りは、私たちが神からいただいた性質の一部であるということです。ですから、私たちは、イエスがされたように怒りを正しく用いていく術を知らなければなりません。
 イエスは怒られた時はいつも、その怒りを直面している問題の解決に用いられました。イエスは怒りのパワーを問題解決に用いられたのです。イエスは大声を上げたり、人々を打ち叩いたりして、怒りを顕わにすることはなさいませんでした。怒りを内に抑え込むこともなさいませんでした。イエスは、物事が正しくない時はいつも、怒りを正しく表現されたのです。
 私たちは何かが間違っている時に怒るのだということを理解すれば、怒りの感情とうまく付き合っていくことができます。人が私たちをコントロールする時、私たちは怒ります。人が自分について悪口を言う時も、私たちは怒ります。クリスチャンが罪の生活を送っているのを見たら、私たちは怒るのです。怒りのエネルギーは私たちを直面する問題の解決に向かわせるものです。
 では、どのような時に、怒りが罪になるのでしょうか? 箴言29:11には、「愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる」と書いてあります。私たちが怒りを爆発させた時、罪を犯したことになるのです。私たちが自分を怒らせたことについて多く語るだけで、問題を解決しようとしないなら、私たちは罪を犯しているのです。私たちが怒っている時に、あまりにも早くそれをことばに表すことがないようにするのは非常に大切なことです。
 エペソ4:27には、「・・・日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません」と書かれています。ここで教えられているのは、私たちが怒りを抱え込んだまま、それについて何もしないなら、罪を犯していることになるということです。私たちは、自分の怒りの感情をうまく取り扱わなければなりません。その感情にふたをしてしまうと、決して良い結果を招きません。私たちは、自分を怒らせた人に賢く向き合わなければなりません。時には、自分の家庭にある罪の問題に取り組まなければならないこともあります。怒りの感情を内に抑え込むと、必ず苦々しさや憤りを抱くことになります。落ち込むようにもなります。反対に、怒りを爆発させると、人を傷つけてしまいます。あなたが怒っている時には、なぜ自分が怒っているのかを正しく判断し、問題解決に向かう必要があるのです。

宣言:私は自分の怒りを人にぶつけるのではなく、問題解決に用いていきます。

今日の聖書通読箇所;朝・・・U列王25章、ヘブル7章
              夜・・・アモス1章、詩篇144篇

- 2006-11-11
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