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Osaka Shalom
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11月7日 信仰が鍵です

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)

 神に喜ばれるためには、私たちは信仰を持たなければなりません。自分の信仰を用いることなくして、神を喜ばせることはできないのです。信仰こそ、私たちのうちに住んでおられるキリストの力を解き放っていく鍵なのです。イエスを信じる信仰があるなら、イエスが御自分の力を解き放ってくださり、私たちを罪から解放してくださるのです。
 神を喜ばせ、勝利の生活を送るのに、信仰がそんなに重要であるなら、私たちは信仰とは何かを学ぶ必要があります。信仰はそれ自体では存在し得ません。信仰には信じる対象が必要です。すべての人が毎日の生活の中で信仰を働かせて生きています。一日を過ごす中で、私たちが信頼しているものは多くあります。
 レストランへ行って席に着く時、私たちは疑うことなく腰を下ろします。私たちは、その椅子が自分の体重を支えてくれると信じているのです。かつて椅子を壊してしまったことのある人は、その信仰が裏切られる時もあることを知っています。
 救われた時、私たちは初めて自分の霊的な信仰を用いました。私たちは、キリストこそ自分を罪から救い出してくださる方であると信じ、その救い主に信頼を置いたのです。ですから、私たちは、イエスは主であると告白し、そして永遠のいのちを受け取りました。
 信仰とは、決して変わることのない、また決して偽ることのない、キリストという方を信じることです。私たちが「キリストを信頼する」と言う時、それは「キリストのことばを信頼する」と言っていることでもあります。キリストを信頼することと、御ことばを信頼することは同じです。御ことばに表されたキリストを見るなら、私たちは、神は約束されたことを必ず行なってくださると確信することができます。
 神の御もとへ行く時、私たちは神が神であることを信じなければなりません。それはつまり、私たちが神がどのような方であるかをもっと知るようになると、私たちの信仰がより強くなるということです。私たちが神を知れば知るほど、私たちの信仰のレベルが上がっていくのです。
 神がどのような方かを知り、神が私たちにされた約束をすべて知ったなら、私たちは神を探し求めるようになり、その結果、私たちは神を見出すのです。私たちが信仰を持つことによって受ける報いは、キリストの臨在です。神の御ことばを探し求めると、私たちは神がどのような方であり、また自分がキリスト・イエスにあって何者であるのかを知るようになります。もし私たちがイエスは私たちを罪から守ってくださる方であると知らなければ、それを経験することはありません。もしイエスは私たちを罪深い習慣から解放してくださる方であると知らなければ、私たちがそれを経験することはないのです。
 では、そのために私たちがすべきことは何でしょうか? 御ことばに耳を傾け、それを信じることです。神の約束を信じる信仰が、すべての経験に先立ちます。神に信頼を置くなら、私たちは、人を癒し、解放する神の力を経験するという報いを受け取るのです。今日、神を信頼することを選び取りましょう。 あなたがイエスと御ことばに信頼を置くのを、イエスは待っておられます。

宣言:私は、イエスがすべての罪から私を救い出し、解放してくだることを信じます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・U列王20章、へブル2章
              夜・・・ホセア13章、詩篇137−138篇
- 2006-11-06
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