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Osaka Shalom
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11月2日 私たちは霊的な存在です

ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(Uコリント4:16)

 日々私たちに戦いを挑んでくる肉の行ないに打ち勝つには、私たちは自分が何者であるかを学んでいかなければなりません。上記の聖句から、私たちが肉体だけの存在ではないことがわかります。私たちには内なる人がいて、それは日ごとに新しくされているのです。
 神がアダムを創造された時、アダムの霊と魂とからだは完全に神と一致していました。アダムは日ごとに自分を創られた方を知ることによって、完全に満足していました。自分の必要がすべて満たされていたので、アダムはいつも有意義な生活を送っていました。
 アダムは非常に重要な存在でした。彼には、サタンも含めて神が創造されたものをすべて支配する権威が与えられていました。アダムは神が自分にするように命じておられることをよく理解していましたし、主のために働くことに喜びを感じていました。
 アダムはまた、絶えず神に守られているという安心感を抱いて生活していました。アダムは完全に神の御手の中で守られていました。彼は神の臨在の中で過ごし、食べたい物もすべて与えられていました。全くストレスのない日々を過ごしていたのです。
 アダムは帰属感も経験していました。アダムは自分が神に属する者であることを知っていました。彼は神と親しい関係を持っていたので、その霊も魂も満足していたのです。神はまた、アダムにすてきな女性、ともに神を喜び楽しむことのできる伴侶を与えられました。神はアダムが他の人間とも有意義な関係を持つことを望まれたのです。
 そのような中で、いったい何が起こったのでしょうか? 聖書は、アダムとエバが罪を犯し、それによって突然、霊的な死がやってきたと教えています。彼らと神の関係は断ち切られ、彼らは神から切り離されてしまいました(創世記2:17)。その時以来、生まれてくる人間は皆、霊的な死を受け継いでいます(ローマ5:12)。人間は皆、生きる意味を見出すために神と和解する必要があります。そのためには、罪の問題を取り扱わなければなりません。
 アダムとエバが罪を犯した結果抱いてしまった否定的な感情には、どのようなものがあったのでしょうか? まず、「恐れ」と「思い煩い」が来ました。恐れを抱くことによって、人をコントロールし始め、信仰を失ってしまいました。恐れの次に来たのは、「恥」と「罪責感」でした。アダムとエバはありのままの自分を恥じて、それを覆い隠し始めたのです。
 その次に、「落ち込み」と「怒り」が彼らの性格に顕著に現れてきました。不従順という間違った行ないのせいで、このようなひどい感情が彼らの心を支配してしまったのです。私たちは、正しい行ないが良い感情を生むことを絶えず自覚している必要があります。人生を楽しみたいのなら、私たちは堕罪以前にアダムが歩んでいたように歩むことを学んでいかなければなりません。

宣言:私がイエスに従い、イエスと良い関係を持つことによって、私のすべての必要が満たされます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・U列王15章、テトス1章
              夜・・・ホセア8章、詩篇123−125篇
- 2006-11-06
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