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Osaka Shalom
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5月30日 扉が開かれたからといって神の御こころとは限らない

私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。(1ヨハネ5:19)

 あなたは今までに、「主よ、もしこれがあなたの御こころなら、友達が午後7時に電話してくることで、そうだと教えてください」というような祈りをしたことがありませんか?時おり私たちは、神が何かをしてくださることで、それが神の御こころかどうかを教えてくださいと祈ってしまいます。これは非常に危険なタイプの祈りです。悪魔がこの世の神だからです。悪魔はまだ救われていないこの世ばかりでなく、そこに生きるクリスチャンも支配してしまうことがあるのです!悪魔は何か事を起して、あなたが神の御計画を受け損なうように働きかけてきます。
 神の御こころを知りたいのなら、私たちは聖書的な方法で求めなければなりません。聖霊に私たちの霊を導いていただかなければならないのです。私たちに必要なのは、外的証拠ではなく、内なる証明です。神が状況を用いて確認を与えてくださることも時にはあるでしょう。確認は非常に重要なものですから、あなたに対して何だかの権威があり、あなたの人生について助言することができる、聖霊に導かれたクリスチャンによって確認が与えられることもあるはずです。
 何かの扉が私たちのために開かれた時には、閉じられた時もそうですが、私たちは立ち止まって、内なる証明に耳を傾ける必要があります。あなたはそのことに平安がありますか?あなたの牧師にも平安がありますか?親しい関係のクリスチャンも平安を感じていますか?例えば、あなたが転職することを祈っているとしましょう。あなたは神に新しい仕事への扉を開いてくださいと祈ってきました。そこへ、給料がとてもいい仕事があるという電話がかかってきました。あなたはその給料額を聞いて興奮し、神にその仕事をくださったことを感謝し始めました。ところが、電話の向こうの人が、日曜出勤をしなければならないと言ってきました!当然、クリスチャンであるあなたは、神はあなたが聖徒たちの集まりをないがしろにすることを喜んでおられないことを知っています(ヘブル10:24−25)。あなたと家族が本当に祝福されるためには、あなたの生活において神を第一にしなければならないことを知っています。神の国を第一にしなければならないことを知っているのです。知ってはいても、お金には惹かれてしまいます。そして、御霊にある平安を失い、良心のとがめを感じながらも、その仕事を引き受けてしまうのです。
 神は私たちの必要をどのように満たすかを御存知です。ですから、私たちは神の御ことばを軽く扱うべきではありせん。もし神が本当に私たちの供給源であるなら、自分と自分の家族への祝福を受け取るために、神の方法で事を行なわなければなりません。悪魔が開けた扉を通って行かないようにしましょう。また、もし悪魔が神の開いた扉を閉めたのなら、あなたはそれが開かれるべきだとわかっているのですから、イエスの御名によってその扉を蹴ってでも開けてください。悪魔にそこから立ち去れと命じてください!周りの状況ではなく、内なる証明によって導かれていきましょう。悪魔は、あなたを神の御こころから引き離すために、全世界をも与えようとするのです。

今日の聖書通読箇所:私は周りの状況ではなく、内なる証明に導かれていきます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記3章、詩篇85篇
              夜・・・イザヤ31章、黙示1章、
- 2006-05-26

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