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5月26日 神の御声を聞くには(6)

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇119:105)

 私たちはまず、神の御声を聞き、神の方法を知りたいという強い願いを持つ必要があることを学びました。次に、神の御声を聞くには、神の語っておられることに耳を傾けなければならないことを学びました。また、御声を聞けるように自分を整えるには、自分の生活からあらゆる反抗心を取り除き、神がするように命じておられることをしなければならないことも学びました。さらに、神が導かれるのは、神を認める者だけであることも学びました。もし私たちが神を無視し、その助けを求めないのなら、御声を聞いて、神によって導かれることはありません。それでは今日は、どのようにして神の臨在の中で時を過ごすかについて学んでいきましょう。
 今日の聖句は、書かれた神の御ことばはともしびであり、光であると教えています。御ことばは、世が創造される以前に神が私たちのために備えてくださっていた道を私たちが歩む時、私たちの足元を照らしてくれます。御ことばは神の御声を聞くためには必要不可欠なものです。御霊は御ことばによって私たちに語られるからです。神の御霊は私たちの教師です。私たちに神の臨在を教えてくださるのは、聖霊なのです。
 同じ119篇の97節には、「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています」と書いてあります。思い巡らすことを最初に人に教えられたのは神です。神は私たちが与えられた御ことばを思い巡らすことを願っておられます。思い巡らすとは、神の御思いで私たちの思いを満たすということです。私たちは自分の思いを空にしてはいけません。それは危険なことなのです。空虚な心には悪霊が容易に接近してくるからです。思い巡らすとは、牛が草を食むように食べ物を口の中で何度も噛むようなものです。私たちが噛めば噛むほど、その食べ物が持つ風味が感じられます。私たちは一日中、御ことばを思い巡らす必要があります。多くのクリスチャンは御ことばを読んではいても、その御ことばを思い巡らしていないので、何の益にもなっていません。たくさん読みすぎて、一口ひとくちを味わい楽しむことが全然できていないクリスチャンもいます。
 御ことばを思い巡らすのには時間がかかりますが、御ことばを熟考することができます。聖書に書かれている神のことば一つひとつについて深く考えることができます。私たちは聖句の一つひとつのことばを丁寧に読み、聖霊にそのことばで自分の霊を養っていただくのです。私たちは御ことばを食べなければなりません。日ごとに神の御前に出て祈り、御声を聞くために自分を整えるには、聖書を開き、ガラテヤ2章20節のような聖句を読み始めなければなりません。心を静め、その節にあることばを一つひとつ見ていくのです。何度も繰り返して読んでいくのです。そのようにして、心でその聖句を何度も噛むのです。そうすれば、キリストが本当に自分のうちにおられることを主が啓示してくださるのです!この啓示を受け取ったら、今度は聖霊に内住のキリストの臨在を経験させていただくのです。聖書全体を通読しても何も行なわないなら、一つの聖句を真剣に受け取り、その御ことばの通りに生きるほうが良いのです。神は御ことばを読むだけの者ではなく、御ことばを行なう者を祝福されます。少なくとも毎日20分から30分は、このように御ことばを読む訓練をしてください。そうすれば、あなたは神の御思いに満たされ、光輝くようになるでしょう!
 
宣言:私は一日中、御ことばを思い巡らします。御ことばは、私に大きな喜びを与えるものです!

今日の聖書通読箇所:朝・・・民数35章、詩篇79篇
              夜・・・イザヤ27章、1ヨハネ5章
- 2006-05-24
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