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Osaka Shalom
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6月26日 祈る時、静まることができていますか?

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」(詩篇46:10)

 神に祈る時、あなたは静まって、神の語りかけを受けることができていますか?もし私たちが宗教的な祈りの時間を持っているなら、私たちは実際は神に語りかけているのではなく、自分が言わなければならないと思うことや、こうなるだろうと思うことを一方的に語っているに過ぎないのです。祈る時、ことばは重要ですか?その通りです。祈りのリストを用意するのは良いことですか?もちろん良いことです。でも、あなたは、ただ神に何かを言うためだけに御前に行くのではありません。神の御声を聞き、御臨在を経験するために、御前に行くのです。最初の戒めである、心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして神を愛するために御前に行くのです。
 私たちが祈り、賛美し、礼拝を捧げるのに、いつも自分なりのプログラムを持っていたら、静まることは本当に難しくなります。神を経験できる領域に入っていくには、私たちは自分の思いや考えを静めることができるようにならなければなりません。主に耳を傾けなければ、主から啓示をいただくことも、その御臨在を経験することもできないのです。
 どうして30分間でも神に耳を傾けることが、そんなに難しいのでしょうか?自分が絶えず何かをしていなければいけないと思っているからです。もう一度確認しますが、私たちが神とともにではなく、神のために何かをするように追い立てるのは宗教の霊なのです。
 神は、私たちが神とともに歩み、その御臨在と啓示を楽しむことを望んでおられます。私たちが御前で静まり、神の御臨在を覚えるようになると、天からの幻や啓示を受け始めます。神の聖さに満たされ始めます。神の愛が洪水のように私たちの魂に溢れ流れてくるようになります。
 今日の聖句の「やめよ」というのは、「静かにしなさい」という意味です。これは、ひとりで御前に行くことも意味します。イエスは父なる神とふたりきりで多くの時間を過ごされました。父なる神のことを知る必要があったからです。イエスは神について知っているだけではなく、神のことをよく知っておられました。私たちが神の御前で静まるなら、神のことがわかってきます。経験的に神を知るようになるのです。
 あなたは‘宗教’以上のものが欲しいと思っていませんか?祈りの時間が退屈なものになっていませんか?自分は充分に啓示を受け取れていないと思っていませんか?神の御臨在を経験していますか?あなたは、神の御臨在の中で静まる術がまだ身についていないのかもしれません。神は絶えずあなたとともにおられます。私たちが静まって神を求めるなら、神の御臨在を感じることができるようになります。天からの啓示も受け取れるようになります。今日、御前で静まる時を持ち、神があなたを愛しておられることを知ってください!

宣言:主よ、私は今、あなたを待ち望んでいます。あなたに耳を傾けています。あなたの御臨在を仰ぎ見る備えはできています。

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記31章、詩篇119篇97−120節
              夜・・・イザヤ58章、マタイ6章

- 2006-06-24
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