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Osaka Shalom
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6月24日 十字架は墓場ではなく甦りに至る場所でした!

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)

 私は16歳の時、この聖句からすばらしい啓示を受けました。その啓示が私の全存在に働きかけていた3日間、この地上で天国にいるような心地でした。
 その時、私は自分がすでに死んでいることを悟ったのです!自分の肉の力で、この肉のからだを十字架につける必要がもはやないことを悟りました。それだけでなく、私自身がクリスチャン生活を送る必要もないことも悟りました。パウロはここで、もはや自分が生きているのではなく、イエスが自分のうちに生きているのだと語っています。神の御こころを行なうのは、パウロのうちにおられるイエスだと言っているのです。では、私は自分の肉において何をすべきなのか−ただ私のうちに生きておられるキリストを信頼し、すべてを委ねたらいいのだ、と気づいたのです。私がそのようにイエスにすべてを委ねると、イエスがその愛と力で私を満たしてくださいました。
 いつも自分を殺そうと努力しているクリスチャンがいます。これを殉教者症候群と呼びます。彼らはいつも自分の考えや感情、食欲さえも殺そうと努力しているのです。そして、自分がどれほどイエスのために苦しんでいるかを人々に言いまわっているのです。人生のあらゆることは自分が負う十字架だと受け止めているのです。
 この殉教者症候群にかかったクリスチャンは、イエスのために生きることに苦難を覚えています。彼らが御霊の力によって主に仕えているようには到底思えません。彼らには人を励ますような証しが一つもありません。彼らの話を聞けば聞くほど、生きるのがしんどくなってしまいます。
 殉教者として死んでいくのは名誉なことですが、クリスチャンはそれを自分の人生のゴールにするようには召されていないと私は思います。確かに、私たちは御霊の力によって、からだの行ないを殺さなければなりません(ローマ8:13)。私たちが自分のからだを御霊に委ねたら、御霊がそうしてくださるのです。私たちの強い願いを変えることができるのは、御霊だけです。
 この殉教者症候群に陥ることによって、クリスチャンが他からの矯正を受け取れなかったり、何一つ拒否できなくなったりすることがあります。自分が‘福音のために苦しんでいる’と思っているからです。自分が‘真理に堅く立つ’ために犠牲を払っていると思っているので、御ことばの真理を受け入れられなくなってしまうのです。
 自殺の霊がこの殉教者症候群に関係しているのかもしれません。‘主のために死ぬ’ほうが、主のために生きるよりも容易である場合があります。私たちは死ぬことよりも生きることのほうに誇りを抱くべきです。十字架は苦しみを意味するのではありません!十字架は甦りを意味するのです。イエスが苦しまれたのは、あなたがイエスの御名によっていのちを持つためです。ですから、イエスとともに毎日を楽しんでください!

宣言:私はキリストにあって死んだ者とされました。ですから、もう自分を十字架につける必要はありません。ただ、私のうちにおられる甦られたキリストの力にすべてを従わせるだけです。

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記29章、詩篇119篇49−72節
              夜・・・イザヤ56章、マタイ4章
- 2006-06-22
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