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Osaka Shalom
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6月18日 宗教の霊は自分がコントロールできる信奉者を持ちたがる

忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするからです。(マタイ23:15)

宗教の霊を持つ人が人々を導き始めると、自分の目標や理想に基準を合わせて回心者を作ろうとします。そのような人は自分には多くの知識があり、自分は正しいと思っているので、人々が自分のやり方に倣うことを要求するのです。宗教の霊はいつも、外側の行ないを変えることに集中します。ですから、人の心が変わることはありません。人の心は、神との関係のよってのみ変えることができるのです。私たちの霊は、神の臨在によってのみ満足し得るのです。宗教の霊はいつも、天と地の主である方との関係から私たちを引き離そうとします。それに導かれた人は、キリストの弟子にならずに、教会や教団の回心者になってしまいます。
 この宗教の霊はクリスチャンに縄張り意識を持たせてしまいます。この回心者の考えを持っている人は、自分の周りに自分の考えや外見を褒め称える人々を集めたがります。絶えず人々の注意や関心を引くことばかりを捜し求めます。人々が、神や神が立てた権威者ではなく、自分の言うことに耳を傾けることを喜びます。
 宗教の霊を持つ人は、神の秩序を嫌います。自分が人々に対して決断を下す者になれないからです。それで、その人は何をするのでしょうか?人々が自分のところに不平不満や問題を持ってくるようにするのです。そうすることによって、宗教の霊がますます増幅します。その人は、人々が自分のところに来ると、欺く舌をもって神が立てた権威者をけなすようなことを言います。「私だったら、このようにするのに・・・」などと言うのです。このような人は、自分の意見は他より優るといつも思っています。とても謙遜であるかのようにふるまってはいますが、実際は、「あの人よりも私のほうがもっとよく理解している」という思わせぶりな方法を用いて、神が立てた権威者に逆らっているのです。
 このような人は、自分がコントロールできる、自分のための回心者だけを求めます。最終的には、地域教会の会衆の心を盗んでしまいます。自分の‘家庭集会’を始めたりもします。喜んで自分の家に人々を招き、そこで自分のための回心者を作ろうとするのです。
 宗教的なプライドは、教会に多くの傷を与えてしまいます。悲しいことに、宗教的なリーダーに仕えるようになってしまった人の大多数が、実際は喜んで仕えているのです。コントロールされることが良いことだと思っているからです。このような人々は、人に自分が何をすべきで、何をすべきでないかを言ってもらいたいのです。彼らは自分で正しく判断することができなくなっています。境界線を失っています。神の御霊とつながっておらず、人を神の代わりにしているのです。彼らは、神ではなく人間の王サウルに自分たちを治めてもらいたいと嘆願したイスラエルのようです。他の人が私たちの人生をコントロールするのを許してしまう時、神は非常に悲しまれると私は思います。ですから、パリサイ人のパン種には気をつけましょう!

宣言:イエス様が私の指導者です。私は神が立てた権威者に従います。私の教会のリーダーたちは、私を自分たちにではなくキリストに導いてくれます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記23章、詩篇112−113篇
              夜・・・イザヤ50章、黙示20章
- 2006-06-14
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