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Osaka Shalom
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6月16日 人に見られるためにしていませんか?

彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。(マタイ23:5−7)

 宗教の霊は、私たちが人に見られるためにすべてのことを行なうように仕向けてきます。宗教の霊がある人は、心よりも行ないを気にします。正しいことを言い、正しいことを行なったら、すべてうまくいくと思っています。このような宗教的な行ないの土台となっているのは、人に対する恐れです。
 イエスとともに歩む私たちの行ないは、主との心からの親しい関係に基づいていなければなりません。神は私たちの表面上の行ないだけでなく、心の中の動機を見られます。私たちが神にではなく、人に良く思ってもらうために何か良いことを行なう時、神はそのことを御存知です。人を恐れる思いが強くなると、私たちはその恐れている人に容易にコントロールされてしまうことになります。うちにおられる御霊に導かれるのではなく、その人の意見に左右されてしまうことになるのです。
 宗教の霊は、私たちが人に見られるために着飾るようにも仕向けてきます。服装、腕時計、ネクタイなど、すべて身につけるものが重要になってきます。良い服を着て、良い物を持つことは、何も悪いことではありません。しかし人に良い印象を与えるためだけに、それにこだわるようになると、危険です。
 宗教の霊がある人は、人に認められることも好きです。神から来る誉れではなく、人々の敬意や名声を受けることを好みます。そのような人は、‘使徒’‘預言者’‘牧師’といった肩書が好きです。これらの敬称は正しく用いられるならば良いものですが、人々から称賛を受けるために肩書を求めるなら、それですでに報いを受け取ってしまったことになるのです。私たちは、人々ではなく神が私たちを高く上げてくださることを求めるべきです。けれども、もし誰かから称賛のことばを受け取ったら、間違った謙遜の態度を取らないでください。それは宗教の霊の別の形なのです。そのような時は、ただ「ありがとうございます」とだけ返答し、神を賛美し、神に栄光を帰すことを心がけましょう!
 祈る時、あなたはそれを聞いている人々のことを気にしていますか?それとも、神にだけ語りかけていますか?祈りとは、神に語りかけることであって、決してそれを聞いている人へのメッセージではないのです!操作的な祈りは、多くの場合、そのような時に生じるのです。牧師に直接何かを言う勇気のない人が、牧師が聞いている時に、祈りや預言を通してそれを言おうとするようなことがあるのです。これはイゼベルの霊の現われであり、非常に危険です。あなたは肩書が好きですか?自分の教会で何かの点で認められたいと願っていませんか?私たちを昇進させてくださるのは神であって、人や私たち自身のプライドではありません。私たちは何よりも心から神を愛するために生きているのだということを深く理解しましょう!

宣言:主は私の心も動機も御存知です。主よ、私は心からあなたを愛し、あなたに従いたいです!今、パフォーマンスの衣を脱ぎ捨てます!

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記21章、詩篇108−109篇
              夜・・・イザヤ48章、黙示18章
- 2006-06-14
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