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Osaka Shalom
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6月15日 宗教的な人は重荷を取り除こうとはしない

また、彼らは重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本さわろうとはしません。(マタイ23:4)

 あなたは今までに、聖書のことをよく知っていて、霊的に見えるけれども、誰も助けようとしない人に会ったことはありますか?そのような人は自分が知っていることを人々に教え、何をすべきかも教えるのですが、その人々がそれを行なうのに助けが必要になると、姿を消してしまうのです。どうしてでしょうか?なぜなら、宗教の霊は、人を横柄にし、自分が知っていることで人を満足させてしまうからです。宗教の霊は、聖霊が働かれる次元にまで人を導くことはありません。そこは愛によって導かれるところだからです。宗教の霊は私たちを頭だけの知識によって導きますが、聖霊は人を助ける愛によって私たちを導かれるのです。
 ガラテヤ6:2では、「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」と教えられています。あなたは他の人の重荷を負っていますか?人があなたに助けを求めに来た時、その人の問題解決のために力を貸していますか?それとも、「神の祝福がありますように」とだけ言って、立ち去るようなことをしていませんか?なぜ非常に多くのクリスチャンが地獄へと失われていく人々のことを心配せずにいられるのでしょうか?神について知っていることだけで満足し、自分は快適な生活を送っているからです。
 宗教の霊は、私たちの行動面において二方向に働きます。私たちに多くの行ないをさせるか、知識を得ることによってすべてを得たかのように思わせ、私たちが何もしないようにするかのどちらかです。イエスは失われた人々を愛し、彼らのところへ行って、愛をもって仕えられました。後になって御自分を殺すかもしれない人々のところへ出かけて行き、彼らを癒されました。神の愛は、人々から、重荷、罪、病気、落ち込みなどを取り除く助けをするように私たちを導きます。聖霊の御名は「助け主」です。ですから、もし私たちが御霊によって導かれているのなら、人々を助けるはずです。決して人々をないがしろにしてひどく傷つけたり、何もせずに無視することはしません。愛はいつも行ないによって人々を助けるものなのです。
 自分が人々を助けられない分を祈りで補おうとする人がいるかもしれません。パリサイ人はそのようにしました。彼らが自分たちの宗教的な祈りや詠唱に時間を費やしている時、イエスは傷ついた人々がいるところへ出かけて行き、彼らを癒し、解放されました。イエスは彼らに神の御国を教え、救い、癒し、解放する神の力をもたらしたのです。あなたは今日、誰を助けようとしていますか?そんなつもりはないというなら、その理由は何でしょうか?

宣言:私には重荷を取り除くための油注ぎがあります。。キリストの愛によって、今、それを活性化します。イエス様がされたように、私も今日、人々を助けます!

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記20章、詩篇107篇
              夜・・・イザヤ47章、黙示17章
- 2006-06-14
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