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Osaka Shalom
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6月14日 宗教的な人は言うには言うが、行なわない

ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行ない、守りなさい。けれども、彼らの行ないをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。(マタイ23:3)

 イエスがパリサイ人について何と言われたかを詳しく見てみましょう。イエスはパリサイ人のパン種に注意しなさいと言われました。ですから、私たちは宗教の霊がどのようなものであるかを理解しなければなりません。そうすれば用心することができるようになります。
 イエスは、パリサイ人は正しいことを言うには言うが、それを行うことはないと言われました。宗教の霊は、どのくらい祈るべきか、聖書を何章読むべきかなど、一定の基準を私たちの思いの中に入れてきます。宗教の霊は、私たちに完璧なクリスチャン像を提示してきますが、私たちが教えられているすべての基準を満たすことができないことをよく理解しているのです。結局のところ、教えているあなたも教えているとおりにしていないという事態を招きます。
 宗教の霊は、あなたが聖なる要求を他の人々に押し付けるように仕向けてきます。しかし、それらはあなた自身がしたいと願っていることではないので、あなたがそれをすることはありません。あなたは癒しを信じているかもしれませんし、他の人々にどうしたら癒されるかを教えることができるかもしれません。でもいざ自分が病気になっても、あなたは他の人々に教えたことを自分もしようとはしません。ですから、教えが経験に結びつくことはありません。つまり、その教えが自分のものになっていないのです。本当は心から癒しを信じていないのです。
 あなたは今までに、困難な状況に置かれている人を助けたことがありますか?その人が自分の問題を分かち合った時に、あなたはその人がすべきことをアドバイスしました。どうしてそのようなアドバイスができたのでしょうか?その問題に関するメッセージを聞いたか、本を読んだからできたのかもしれません。そして、その置かれた状況について御ことばが語っている真理を教えてあげました。その後しばらくして、今度は自分が同じような問題を抱えることになりましたが、自分がその人に言ったようには行ないませんでした。どうしてですか?あなたにとって、それが心に植えつけられた啓示ではなかったからです。頭で理解した知識であって、心で理解した知識ではなかったのです。頭では理解していたのですが、心が反応していなかったのです。
 宗教の霊は、私たちが知識を持つことで満足するように仕向けてきます。自分が知っていることを誇るようにするのです。プライドは私たちに満足感を与えます。頭で神を理解することで、自己満足してしまうのです。宗教はすべてを知性の領域に押しとどめてしまいます。それが心で経験する領域に及ぶことはありません。たとえイエスのことを頭で全部理解していても、イエスをあなたの心に迎え入れ、イエスとの関係を築かなければ、あなたは救われているとは言えません!あなたが何を知っているかではなく、誰を知っているかがすべてなのです。

宣言:主イエス様、私はあなたを心から知りたいと願っています。あなたについて知りたいのではなく、あなたを私の心の中で経験したいのです!あなたの愛で私の心を満たしてください!

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記19章、詩篇106篇
              夜・・・イザヤ46章、黙示16章
- 2006-06-11
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