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6月13日 パリサイ人やサドカイ人のパン種

イエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」(マタイ16:6)

 パリサイ人とサドカイ人のパン種とは何のことでしょうか?それは宗教的なプライドのことです。日常生活の中で自分がしている良い行ないを誇ることです。自分がどれほど聖書を読み、証をし、貧しい人々を養っているかを誇るようになると、危険です。プライドから物事を行なうなら、私たちの働きは実を結ばなくなります。神は高ぶる者を退けられるからです(ヤコブ4:6)。
 プライドの土台となっているのは何でしょうか?理想主義です。理想主義は最高レベルの基準を設け、それを目指すことで神の栄光を保とうとしているように見えますが、実は真の啓示と恵みを阻むものになっているのです。理想主義は人が少しずつ成長することを認めません。どの人も、そのクリスチャン生活においてそれぞれ異なった段階にいます。ですから、私たちが設定してしまう基準が、神がその時その人に要求しているレベルではないことがあります。私たちがしていることを他の人々も同じようにすべきだと考え始めると、当然のようにその人々を責めてしまいます。でも、神は御自分の子どもたちに一律に接することはなさいません。私たちがすべきだと思うことを他の人に強要するならば、しかもそれが神の御こころであると本人が確信することなく行なっているのであるならば、その人に恐れやプライドから宗教的な行ないをさせてしまっている可能性があります。
 この宗教的なプライドに導かれていくと、完全主義に陥ります。こうなると、非常に危険です。なぜなら完全主義に囚われると、どの人も、どの教えも、100%正しいか、100%間違っているかのどちらかで判断してしまうからです。この基準をクリアできるのは、イエス・キリストだけです!この地上には誰一人として完璧な人はいません。あなたが間違っているという可能性も大です!ですから、私たちが問題のある人々を助けようとする時には、彼らに罪深いライフスタイルから抜け出す方法を教えることはできても、彼らを責めることはできないのです。
 宗教の霊がある人は、非常に正確に問題を指摘できるかもしれませんが、すでに築き上げられたものを打ち壊す以外には何も解決方法を持たないことが多々あります。悪魔は、落胆の種を蒔くことで、人々の前進を阻もうとします。その人々が「霊的なもの」の基準に達していないからといって、気をくじいてくるのです。
 あなたは、神は、その恵みによって、私たちの霊的な歩みを一歩ずつ導いてくださることを知っていましたか?ですから、聖書はクリスチャン生活のことを「歩み」と言っているのです。私たちは神の恵みによって日々導かれていくのですから、明日のことを思い煩ったり、他人が設けた基準を気にしたりしないでください。主とともに日々歩み、主の愛をいただき、主に成長させていただきましょう。もしあなたが倒れたら、主が起こしてくださいます!もし切り傷や打ち傷を負ったら、神が傷口を消毒し、癒してくださいます。神は決してあなたを責めたり、さばいたりなさいません!いつもあなたを励ましてくださいます。神の愛は決してあなたを指差して非難することはありません。私たちが他の人々を非難し始めたら、それは、私たちが非難のミニストリーに入り込んでしまったということ、つまり、悪魔と歩調を合わせ始めたということです。イエスを殺したのはイエスを訴える群衆であったことを、いつも忘れないようにしましょう。人を責める舌は、あなたの油注ぎを速やかに消し去ってしまいます。打ち壊す者ではなく、イエスのように建て上げる者になりましょう。

宣言:主よ、パリサイ人があなたにしたように、私も他の人々を責めたり裁いたりしたことを悔い改めます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記18章、詩篇105篇
              夜・・・イザヤ45章、黙示15章
 
- 2006-06-11
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