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Osaka Shalom
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6月11日 自由!

キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。(ガラテヤ5:1)
兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5:13)

 ‘自由’とはすばらしいことばです。イエスは私たちを罪の力や悪魔の力から解放してくださいました。私たちには肉か神の御霊かどちらかを選ぶ自由があります。自分の力で事を行なうのか、それとも、うちにおられるキリストの力によって行なうのかを選ぶ自由があるのです。私たちは罪意識や自意識からも解放されています。にもかかわらず、私たちは自分で自分を変えることなどできないのに、何度も自分の知恵や力によって、うちにおられる神の御霊にしかできないことをしようとしてしまいます。
 宗教の霊は、いつも私たちに働いて、神御自身しかできないことを何とか自分でやり遂げるように仕向けてきます。それにより、いつも私たちは欲求不満を抱いてしまいます。うちにおられるキリストの力ではなく、自分の肉の力で奮闘しているからです。自分を変えようとする度に、私たちは失望してしまいます。周りにいる人々を変えようとすることはどうでしょうか?やはり、何度も失望を繰り返しているのです!すべきことやすべきでないことの規則で人を変えようとしても、欲求不満に陥るだけです。誰もが神が命じたことをするかしないかを自分で決める権利を持っています。すべての人に自分で選ぶ意志が与えられているのです。
 私たちは他の人々を変えるように召されているのですか?いいえ、そうではありません!キリストの福音を伝えるために召されているのです!私たちの心を変えることができるイエスを人々に紹介するのが私たちのすべきことです。人の心に触れて、それを変えることができる人など一人もいません。聖霊以外には誰も、石の心を取り除くことはできないのです。宗教がしているのは、外側の行動を変えることだけです。宗教の霊はいつもコントロールの霊とつながっています。そしてこのコントロールの霊はいつもカルトにつながっているのです!カルト集団では、すべての人が同じように行動し、同じような服装をしています。全員が同じでなければならないからです!
 アダムとエバを創造された時、神は、園のどの木からでも思いのまま食べてもよいが善悪の知識の木からは取って食べてはならないと彼らに命じられました。いのちの木から取って食べることは許されていました。それは彼らのうちにある神のいのちそのものでした。では、なぜ父なる神は、完璧な環境の中に彼らのつまずきとなるかもしれないものを置かれたのでしょうか?神は彼らがつまずき失敗することを望んでおられたのでしょうか?いいえ、神は彼らに自分の意志で選んで欲しかったのです!宗教の霊は規則で縛り、あなたが自分で選ぶことができないようにします。あなたから自分の人生を選択する自由を奪い取ってしまいます。自分の人生は自分で決めるものです。神は私たちが失敗することを望まれるのではなく、失敗することを許されるのです。神はアダムとエバが罪を犯すことになっても、彼らの意志に委ねられたのです。私たちにはいつも、いのちの木(うちにおられるキリスト)と善悪を知る知識の木(すべきことやすべきでないことの宗教的な行ない)のどちらかを選ぶ自由があります。あなたは毎日、あなたの生活で、家族の中で、教会で、従うか従わないかを選ぶ自由がありますか?もしないなら、あなたはコントロールされているのです!反対に私たちに選ぶ自由があり、もし従わないことを選んだら、その結果、自分の身に招いてしまうことが何かあるのでしょうか?もちろん、あります!それでも、選択の自由は認められるべきものなのです!

宣言:私はもう律法の要求の下にいません!私はいのちを選ぶことができます!

今日の聖書通読箇所:朝・・・申命記16章、詩篇103篇
              夜・・・イザヤ43章、黙示13章
- 2006-06-07
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