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Osaka Shalom
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7月31日 いやし主キリストから離れないようにしよう!

わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。・・・あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15:4−5、7)

 癒しと健康を経験するには、絶えずその源が何であるかを心に留めておく必要があります。その源とはキリストです。キリストこそがいやし主です。キリストこそが、御自分のいのちの樹液を枝である私たちに流し込んでくださる方なのです。
 枝が健康であるためにすべきことは、ただ一つです。そのぶどうの木につながっていることだけです。ぶどうの木は神のいのちに満ちています。イエスは神の満ち満ちた豊かさそのものです。イエスは健康に満ちているので、病気になることはあり得ないのです。キリストには、癒しの油注ぎが満ち満ちています。
 どうすれば、私たちはキリストにつながり続けることができるのでしょうか?まず救われることです!キリストを救い主として私たちの人生に迎え入れると、キリストは私たちのうちにとどまってくださいます!イエスは、御自分の御霊によって、私たちのうちに住まわれるのです。イエスは、私たちの人生の主として来られます。イエスは王の王なる方ですから、王として私たちの心を治め、支配するために来られます!イエスは私たちの人生の主であり王である方としてのみ来られます。それ以外の立場を取られることはあり得ません。
 私たちが自分の肉の力で、プライドを持って自己本位に生き始めると、主は私たちの人生で御わざを行なうことができなくなります。いやし主であるキリストとつながっているには、キリストとその御ことばを第一にして生きなければなりません。すべてのことが王なるイエスとその御ことばにひれ伏さなければならないのです!罪、自己中心、反抗、不親切、怒り、偽り、ゴシップ、不平不満、不信仰、その他すべての肉の行ないによって、いやし主とのいのちの関係が断ち切られてしまうのです。
 ですから、私たちはキリストと交わり、キリストの御ことばに従い続けることによって、キリストにとどまる必要があります!イエスは、もし私たちがイエスにとどまり、イエスの御ことばが私たちにとどまるなら、私たちは何でも望むものを願い求めることができ、それが私たちのものになると語られました。もし私たちが癒しや健康に関する神の約束の御ことばを知っているなら、それを受け取る信仰を持つことができるのです。私たちが御ことばにとどまることによって、キリストにとどまっているからです。
 ヨハネ15:10で、イエスは、「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。」と語っておられます。私たちは、どうすれば神の癒しの臨在の中にとどまることができるのでしょうか?神の戒めを守ればよいのです。では、この神の戒めとは何でしょうか?イエスは12節で、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」と言っておられます。神と人への愛にとどまることで、私たちはキリストにある癒しの油注ぎを受け続けることができるのです。ですから、イエスを愛し、御ことばを愛し、人々を愛することによって、その癒しの油注ぎにとどまり続けましょう。癒しと健康が豊かにあなたのものとなりますように!

宣言:イエス様、あなたは私のいやし主です。私はあなたを愛しています。もっとあなたを知り、あなたの御ことばを知りたいと願っています。あなたこそが、私の癒しと健康の源です。あなたにあって、病気などあり得ません!

今日の聖書通読箇所:朝・・・士師記14章、使徒18章
              夜・・・エレミヤ27章、マルコ13章
- 2006-07-29
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