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7月21日 なぜ手を置くことが重要なのか

ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。(使徒8:17)

 手を置くことは、私たちが理解すべき重要な教えのひとつです。神の御わざが、手を置くことによってなされる場合が多くあります。イエスも弟子たちも、手を置いて神の御わざを行ないました。
 新約聖書の中で手を置くことが用いられている第一の理由は、それが癒しを行なうのに必要であるということでした。そればかりでなく、人々が聖霊を受ける時にも、手を置いていました。人々をミニストリーに任命する時にも、手を置いています(使徒13:2−3)。
 手を置くことは、霊的な賜物を分与する時にも行なわれていました。私たちが人々にミニストリーするために受け取ることができる霊的な賜物があるのです(2テモテ1:6)。油注ぎも、手を置くことで分与されます。置かれた手を通して、他の人の油注ぎが私たちに移ってくるのです。癒しの油注ぎ、繁栄の油注ぎ、増加の油注ぎ、祝福の油注ぎや他の多くの油注ぎが、このように分与されます。私たちは、それらの油注ぎを持っている人から、この方法によって受け取ることができるのです。では、誰がどんな油注ぎを持っているかをどのように判別すればいいのでしょうか?油注ぎは、実によって判別できるのです。
 マルコ6:5には、「それで、そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。」と書いてあります。イエスは人々のからだに触れて、癒しの力を解き放たれました。イエスは同じ人に2度以上手を置かれることもありました(マルコ8:22−25)。
 使徒5:12には、「また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。」と書かれてあります。しるしと不思議が彼らの手によって行なわれたのです。私たちの手も、この油注ぎを解き放てるようになる必要があります。私たちは、ただ御ことばを信じて、病人に手を置けばよいのです。
 私たちに伴うしるしのひとつは、病人に手を置けば、病人は癒されるということです(マルコ16:17−18)。私たちが病人に手を置けば、病人は回復すると信じなければなりません。祈りを受けている人も、信仰によって癒しを受け取る必要があります。どうなるかわからないけど、とにかくやってみようというのでは人は癒されません。あなたは癒しを信じるか、信じないかのどちらかなのです。私たちはイエスが約束されたことを信じなければなりません。私たちが病人に手を置くと、病人は回復するのです。即座に癒されるわけではないかもしれませんが、その時、回復のプロセスが始まるのです。あなたはもう自分の上に手を置いて癒しを祈りましたか?その時、信仰によって癒しを受け取りましたか?もしそうなら、あなたは回復しつつあります。これが、聖書が語り、私たちが信じていることです。あなたは回復しつつあるのですから、今すぐ、イエスに感謝してください。

宣言:誰かが私の上に手を置いて癒しを祈ってくれるなら、私は回復します。その時に癒しはすでに受け取ったと信じます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・士師記4章、使徒8章
              夜・・・エレミヤ17章、マルコ3章
- 2006-07-19
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