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Osaka Shalom
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7月6日 苦しみと病気の違い

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。(ヤコブ5:13−14)

 神は、あなたの人格を成長させるために、教訓として病気を用いることはなさいません。神がそのために用いるのは、試みや苦しみや困難です。上記の聖句から、苦しみと病気は別のものであることがわかります。ですから、私たちはこの2つを異なった方法で対処しなければなりません。
 試みや苦難を経験している時は、私たちは祈らなければなりません。そのような時には、私たちは自分の信仰を用いて自分で祈るべきなのです。自分がつらい経験をしている時は、他の人に祈ってもらう必要はありません。それが自分の試みの時だからです!あなたが信仰においても人格においても成長するために、そのようなところを通る必要があるのです。ですから、そのような時は、とにかく自分で祈り続けてください!そのテストに合格しなけければならないからです。
 病気になった時は、私たちはそれを耐え忍ぶ必要はありません。病気を癒すためには、できることは何でもすべきなのです。教会の権威者のところへ行って、信仰によって祈ってもらってもいいのです。そうすれば、病気は癒されるでしょう。
 聖書は、神が私たちの人格成長のために病気を教訓として用いることはないとはっきり語っています。私たちの人格成長のためには、神は人間関係の問題などの試みを用いられます。迫害や誤解を用いられることもあります。私たちに失望の時期を通らせることもあります。これらのことはすべて、生ける神を信頼することを私たちに教えてくれます。またそれによって、私たちは人を喜ばせるためではなく、神のために生きていることを自覚するようになるのです。しかし、病気は神の御手によって生じるものではありません。ですから、私たちはイエスの御名によって病気に立ち向かうべきなのです。病気は信者にふさわしいものではありません。
 癒しを求めてイエスのところへ来た人に対して、イエスが一度もその病気は教訓として与えられたものだと言わなかったのは、興味深いことではないでしょうか?イエスは、信仰を持ってイエスのところに来た人をすべて癒されました。イエスは父なる神の現われそのものでした。福音書に描かれたキリストは、神の御性質をそのまま現わしています。神が病気やわずらいを創造されたのはありません。それは人間の不従順の結果、生じたものなのです。
 あなたは病気ですか?もしそうなら、癒されましょう。そのために必要な助けは何でも求めてください。あなたの結婚生活には何か問題がありますか?今、人間関係の問題を抱えていますか?もしそうなら、祈ってください!そのテストに合格することを選び取ってください。悪魔を追い出し、自分の中に依然としてある悪魔からの性質を追い出して、信仰を成長させてください。試みには悪魔からの来るものもあれば、他の人から来るものも、自分自身が原因のものもあります。神は私たちの人格を成長させたいと願っておられます。私たちが御子イエスのようになるのを願っておられるのです。しかし、病気が来たら、イエスがされたように、私たちはそれを叱りつけなければなりません。イエスは病気をもてあそぶことはなさいませんでした。イエスは病気をもたらした者を御存知でした。人々を抑圧しているのが悪魔であることを御存知だったのです。イエスにはすべての病人を癒す油注ぎがありました。あなたにも人々を癒す油注ぎがあります。自分のからだを襲う病気や痛みを叱りつける油注ぎがあります。ですから、それを追い出してください!病気や痛みは、あなたにふさわしくありません!

宣言:神は私に教訓を与えるために病気を送ることなどなさいません。私は御lことばによって、また試みによって教えられていますが、病気によって教えられることはありません。

今日の聖書通読箇所:朝・・・ヨシュア8章、詩篇139篇
              夜・・・エレミヤ2章、マタイ16章
- 2006-07-04
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