header header
spacer
spacer
spacer
Osaka Shalom
OsakaShalom.com
7月4日 イエスは私たちのわずらいや病気を負われた

夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(マタイ8:16−17)

 イエスは悪霊に対して権威を行使され、御ことばをもって病人を癒されました。イエスがそのようにできたのは、私たちのわずらいや病気を背負われるために来られた方だったからです。
 イエスが十字架で死なれたのは、私たちの罪を取り除くためだけではありませんでした。上記の聖句では、イザヤ書の53章から一文が引用されています。イザヤ書53章は、イエスが私たちの罪を負われ、十字架で死なれたことを教えていることでよく知られている箇所です。イエスがそのようにしてくださったのは、私たちが神と和解するためでした。罪の問題は十字架で取り扱われました。では、わずらいや病気に関してはどうだったのでしょうか?
 イザヤ53:4では、'infirmities'(「病」)、'sorrows'(「痛み])ということばが用いられています。イエスはこの'sorrows'ということばを'diseases'(「病」)ということばに変えて引用されました。'infirmities'(マタイ8:17では「わずらい」)ということばは、原語では心やからだの弱さや虚弱、慢性的な病気やさまざまな疾患を意味します。
'sorrows'ということばは、深い悲しみや痛みを意味します。イエスは、私たちの悲しみや痛みをすべてその身に負ってくださいました。イエスが負われたのが私たちのからだの病気だけではないというのは、興味深いことです。イエスは、私たちの感情的な痛みや悲しみもその身に負われたのです。からだの病気は、たいていは私たちの魂が病んでいることの結果として生じてきます。落胆や深い悲しみによって、私たちのからだに問題が生じてしまうことがあるのです。イエスが私たちの心の痛みをも癒してくださることを神に感謝します。
 イエスは単に私たちの罪の重荷を負われただけではありません。私たちの病気、わずらい、虚弱、深い悲しみ、心の痛みまでも負ってくださったのです。イエスが負ってくださったので、私たちがそれを負う必要はもうありません。上記のマタイの聖句は、イエスのミニストリーが人々の病を背負うことだったので、病んでいる人々を癒すことができたのだと私たちに教えています。もしイエスがすでにあなたの病気やわずらいをその身に負われたのなら、あなたはすでに癒されているのです。
 1ペテロ2:24で、ペテロは「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」と語っています。この聖句は、イザヤ53章やマタイ8章の聖句と同じことを言っています。しかし、ひとつだけ違うことがあります。ペテロは十字架の御わざを顧みて、私たちは癒されたと語っているのです。彼は、私たちはこれから癒されるだろうとは言っていません。あなたはすでに癒されたのです。あなたがあらゆる病気やわずらい、痛みから癒されるための代価はもう支払われているのです。あなたは、それを信じて受け取るだけでいいのです。イエスの血潮によって、あなたも私も癒されました!神の御ことばとあなたの症状と、どちらをあなたは信じて受け入れますか?

宣言:私は救われているのと同じように癒されています。もう代価は支払われたので、私はあらゆる痛みや病気から解放されています。この癒しは無償です!

今日の聖書通読箇所:朝・・・ヨシュア6章6−27節、詩篇135−136篇
              夜・・・イザヤ66章、マタイ14章
- 2006-07-02
header
header