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Osaka Shalom
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7月1日 健康であることが神の御こころです

愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(3ヨハネ2)

 健康や繁栄について御ことばが何と言っているかを見ていきましょう。今日の聖句から、私たちが次の3つのことを経験するのは神の御こころであることがわかります。魂の繁栄(=「たましいに幸いを得ている」こと)、繁栄(成功=「すべての点でも幸いを得」ていること)、そして、からだの健康です。聖霊がこのことを聖書に書き記されたのは、私たちがこの人生で何を受け取ることができるのかを理解するためです。
 ここで私たちは、他の霊的祝福よりもまず繁栄と健康のために祈るべきだと教えられています(注:英語訳聖書では"I wish above all・・・"="何よりもまず・・・ように祈ります"と書いてある)。これは、私たちが繁栄と健康を受け取ることによって初めて神の御計画を全うできるようになることを意味します。
 この聖句からは、私たちが健康と繁栄を経験できるかどうかは魂が繁栄しているかどうかによって決まるということも読み取れます。魂とは知性、意志、感情です。これはつまり、私たちの魂が神の方法に同意し始めると、健康と繁栄を経験できるようになるということです。もし私たちが神の啓示された御ことばに従順に歩んでいないのなら、これらの祝福を経験することはないでしょう。
 この聖句で教えられているもう一つの真理は、癒しの存在そのものが神の完全な御こころではないということです。神は私たちがずっと健康のうちを歩むことを望んでおられます。つまり、私たちは、一つの病気が癒された後、また病気になり、それもまた癒されたという生活をするようには導かれていないということです。私たちはいつも自分の病気にも他の人の病気にも打ち勝っている生活を送っているはずなのです。私たちが健康に満ち溢れているので、それが他の人にも流れて行くというのが神の御こころです。イエスもそのように毎日を過ごされました。
 健康とは病気をしないで生きていくことです。では、繁栄しているとはどういうことでしょうか?成功していることです!大金を持っていても成功した生き方をしていないこともあり得ます。もちろん、貧しくて成功もしていないということもあり得ます。
 私たちが自分の人生に対する神の御こころを行なうことができている時、私たちは成功していると言えます。神の御こころとは何でしょうか?地の果てまで、神の御国のメッセージを届けることです。魂を救うことです。教会を始め、弟子を作ることです。これらのことはどれも、イエスが再臨される時まですべきこととして私たちに課せられた使命なのです。イエスの弟子は皆、救いや癒し、解放や繁栄、弟子としての生き方について教えるために召し出されているのです。
 信者である私たちが顔と顔を合わせてイエスに会う時には、イエスは私たちが自分のいのちを用いて御国を拡大する働きに忠実であったかどうかを問われます。王であるイエスは、御国のために何をして、何をしなかったかによって信者をさばかれます。イエスは今、御自分の教会を建てておられ、私たちも同じ働きを担うべきだと思っておられます。イエスは私たちが空しいことのために金持ちになることを望まれません。お金がさばきの日にイエスに対してものを言うことはあり得ません。いつまでも残るのは、私たちが御国のためにしたことなのです。しかし、私たちが神の御こころを成就するためには、健康であることや成功していることが必要なのです。神の働きには経済が必要です。あなたが気づいているかどうかわかりませんが、この地上では、たいがい何をするにもお金がかかるのです!

宣言:私が魂において繁栄しているように、すべてにおいて繁栄し、健康であることは神の御こころです。

今日の聖書通読箇所:朝・・・ヨシュア3章、詩篇126−128篇
              夜・・・イザヤ63章、マタイ11章
- 2006-06-30
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