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1月8日のデボーション

1月8日    人は救われるために何をしなければならないか

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(使徒2:38)

 ペテロのこのメッセージを聞いた人々は、心を刺されました。そして質問したのです。救われるためには、どうしたらよいでしょうかと。その答えは単純明解なものでした。それは今日でも同じです。人々には悔い改めと信仰が求められました。信仰には、いつも悔い改めが伴います。
 真の悔い改めには、個人的に罪を自覚すること(詩篇51:1-7、1テモテ1:13)、罪に対して神のみこころに添って悲しむこと(2コリント7:9-11)、キリストによって与えられる神の憐みを理解すること(イザヤ53:4-6、ルカ1:76-78、テトス3:5-6)、そして罪から離れ、さらに罪を犯さなくなること(2歴代7:14、使徒26:18)が含まれます。悔い改めなければ、人は滅びてしまうと聖書にはっきりと書かれています(マタイ11:20-22、ルカ13:1-5、ローマ2:5)。悔い改めは、どうしても必要なものです。
 マタイ28:19-20で、キリストは使徒たちに「あらゆる国の人々を弟子とし、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように教えなさい」と命じました。ですから、キリストが十字架につけられる前に命じた、悔い改めること、祈ること、罪を告白することや、救われるために他にしなければならないことに関する新約聖書の教えはすべて、十字架から今の時代に至るまで、あらゆる国の人々に教えられているはずなのです。
 ギリシャ語では、真の悔い改めとは、思いを変えること、違う考え方をすること、考え直すこと、悔い改めたことに対してその後も注意深くなること、深く後悔して決断を取り消すことなどを含みます。基本的にそれは、思い、心、態度の変化を意味し、特に人の罪や神との関係における変化に用いられることばです。悔い改めとは、完全に向きを変えることです。それは、神から離れて行くことから神へ向かって行くことへの方向転換です。イエスは、主として受け入れられるために、御自分をお捨てになりました。私たちも神からすべてをいただくために、すべてを捨てなければなりません。自分を束縛している罪を捨てる時に、私たちは真の自由を得ます。神に従う時に、私たちは自由を見出すのです。

宣言:父なる神様、私のすべての罪を悔い改めます。罪から離れ、あなたのもとへ行き、いのちを受け取ります。私は、もはや罪に支配されることはありません。イエス様が私の主です。私は、みことばに従います。自由をいただいて、生ける神の道を歩んでいくことを選び取ります。

今日の聖書通読箇所:朝・・・創世記8章、マタイ8章
          夜・・・エズラ8章、使徒8章
- 2006-01-04
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