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Osaka Shalom
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1月5日のデボーション

1月5日        人は神のいのちを失った

このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。(創世記3:7)

不従順によって神のいのちを失った時に、人は神の覆いも失いました。その覆いとは何だったのでしょうか?それは神の栄光でした。神の臨在は彼らのうちにあり、また彼らを取り囲んでいました。神が彼らの盾だったのです。彼らが神に背いた時、彼らの目は開かれました。霊の目よりも肉の目が働き始めたのです。私たちには心の目があることを知っていましたか?エペソ1:18で、パウロは、エペソの聖徒たちの心の目がはっきり見えるように祈っています。霊の目が開かれたら、聖徒たちは神の召しによって与えられる望み、受け継ぐべき富、そして復活の力がどのようなものであるかを知るようになると、神はここで言われています。そのことが、どんなに今日の私たちにも必要でしょうか!
 目が開かれた時、ふたりは自分が裸であることに気づきました。彼らは神のいのちと臨在を失ったことに気づいたのです。その時、それ以来誰もがやろうとしてきたことを彼らもしました。自分で裸の自分を覆ったのです。彼らは自分の行ないをし始めました。自分の行ないで自分自身を守ろうとしたのです。悔い改めて神のもとへ行くことをしないで、自分の行ないで義を得ようとしたのです。
 すべての人が義の衣を必要としています。その衣はイエス・キリストによって備えられています。ピリピ3:9で、私たちはキリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つことができると語られています。キリストが成し遂げられたわざを信じたら、私たちは神の義をいただくことができるのです。これは神からの賜り物であり、すべての人が必要としているものです。私たちは自分の義で神の前に立つことはできません。神の義が必要なのです。

宣言:父なる神様、キリストによって私を義としてくださったことを感謝します。私の良い行ないはどれも、あなたに良いと認められるものではありません。私は神の義をいただきました。イエスの血潮によってきよめられました。ですから、私を責め立てるものは何もありません。イエス様、あなたが私のためにしてくださったすべてのことを感謝します!

今日の聖書箇所:朝…創世記5章、マタイ5章
        夜…エズラ5章、使徒5章
- 2006-01-04
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