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Osaka Shalom
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2月26日 文字は殺し、御霊は生かす

神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。(2コリント3:6)
 
 あなたの頭の中に神の御ことばがいっぱい詰まっていても、あなたのうちにいのちを全く生み出さないということがあり得ることを知っていましたか?博学が、その知識の多さを誇るプライドを生むだけということもあり得るのです。御霊が私たちの人生に働かれるようになると、私たちが受け取る御ことばにいのちを吹きこんでくださいます。御霊は、宗教ではなく、いのちを与えてくださるのです。文字は私たちを殺してしまいます。クリスチャン生活において、私たちを水のない渇いた地へ追いやってしまうのです。
 多くの人々が、毎年聖書を通読し、日曜毎にすばらしい説教を聞きながらも、神のいのちを生み出せないでいます。神の臨在を生み出せないでいます。油注ぎがそこにないからです。説教者なら、このことは身に沁みて理解しているはずです。説教を聞いていて、時々、油注ぎを感じることがあります。それは、まるで風が吹いているかのようです。流れに乗って、川を下っているかのようです。でも反対に、なぜか非常に無味乾燥な印象を受ける説教もあります。そこには全く油注ぎがありません。神の御思いの啓示が流れて来ないのです。この両者の違いは何でしょうか?前者は御霊によってなされた説教であり、後者は文字によってなされたものなのです。
 御霊は、神の御ことばにいのちを吹き込まれます。いのちを生み出す啓示をもたらされます。御ことばを読んだり、説教を聞いたりする時には、私たちは、絶えず聖霊に依り頼み、そこにいのちを吹き込んでいただかなければなりません。私たちが必要なのはいのちであって、宗教ではありません。私たちを本当に教えることができるのは、油注ぎだけです。私たちが福音を語る時に求めなければならないのは、この油注ぎです。いえ、私たちは、この油注ぎをいつも必要としています。そして、この油注ぎをもたらしてくださるのは御霊なのです。聖霊に依り頼み、絶えず私たちにいのちをもたらしていただきましょう。

宣言:聖霊様、私はあなたの油注ぎを切に求めています。あなたのいのちが私のうちに流れ、私を通して流れ出て、自由をもたらしてくださることを、切に求めています。聖霊様、感謝します。

今日の聖書通読箇所:朝・・・出エジプト9章、ルカ12章
              夜・・・ヨブ27章、1コリント13章
- 2006-02-23
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