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Osaka Shalom
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2月10日 異言を語ることはすべての人にとって必要なのか?

みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。(1コリント12:30)

 この聖句が言わんとしていることを正しく理解するためには、章全体を見る必要があります。28節でパウロは、神が教会に与えたミニストリーの賜物について語っています。使徒、教師、預言者はミニストリーの賜物であって、御霊の賜物ではありません。御霊の賜物は、すべての信者に与えられます(1コリント12:7)。しかし、エペソの4:11で言及されている5役者のミニストリーは、すべての信者に与えられるものではありません。
 この聖書箇所でパウロが教えているのは、すべての教役者が、公けの集会で語る異言の賜物に与かっているわけではないということです。集会では、賜物は他の人々にミニストリーするために用いられるべきです。ですから、集会で語る異言は、信者が聖霊に満たされて語る異言とは異なったものなのです。1コリント14:18−19で、パウロは、自分が他の誰よりも多くの異言を話すことを神に感謝しています。でもその後で、教会では異言で1万語話すよりは他の人を教えるために5つのことばを話したいと語っています。パウロは異言を個人的に用いていたのです。教会の集会では、異言が語られたら、必ずその解き明かしが求められていました(1コリント14:28)。
 異言は、すべての信者に与えられます。異言は、聖霊が私たちを通して神の御こころを語る方法なのです。神は私たちの霊が建て上げられ、主の働きができるようになることを願っておられます。異言は、御霊の賜物、特に知恵のことばや知識のことばを活性化していくための入り口なのです。聖霊に私たちの霊を建て上げていただき、聖霊によって歩みましょう。明日から、異言で祈ることが私たちの人生にどのような影響を及ばすのかについて説明していきます。

宣言:主よ、私が異言で祈れることを感謝します。それにより、私の霊は建て上げられつつあります。捕らわれ人を解放するために、御霊の賜物が注がれていますから、感謝します。

今日の聖書通読箇所:朝・・・創世記43章、マルコ13章
              夜・・・ヨブ9章、ローマ13章

- 2006-02-07
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