header header
spacer
spacer
spacer
Osaka Shalom
OsakaShalom.com
2月9日 異言は必要なのか?

                 
私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝しています。
(1コリント14:18)

 異言を話すことは、聖霊に満たされるのに、とても重要な役割を果たします。言うまでもなく、異言を話すこと以外にも重要なことはありますが、私たちが聖霊とともに歩むには、異言は不可欠なものです。多くの人々が、異言はすたれたと教えてきました。しかし、聖書はそのようには教えていません。そのような人々は、聖書が「完全なもの」として現れたと考えています(1コリント13:8−12)。確かに聖書は完全ですが、だからといって御霊の賜物がもはや働かなくなるわけではありません。この聖書箇所では、完全なものが現われたら、私たちは鏡でぼんやり映るものを見るのではなく、顔と顔を合わせて見ることになると語られています。私たちは依然として鏡でぼんやり映るものを見ているような状態ですから、完全なものがまだ現われていないのは明らかです。
 異言はすでにやんだと言っている人々は、知識もすでにすたれたとは言っていません。知識はすたれていないのです。それと同様に、預言もなくなっていませんし、異言もやんではいません。いずれ異言も預言も知識も必要でない日は来ます。天の御国においては、隠されたことや神の奥義は全く存在しないからです。パウロは「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです」と記しています(1コリント14:2)。この地上にいる間は、私たちは神の奥義のすべてを理解しているわけではありません。ですから、聖霊に導かれて異言で祈る必要があるのです。聖霊に自分を委ね、神の御こころを祈っていきましょう。

宣言:私は、自分で何をどのように祈ったらいいのかわかりません。ですから、聖霊様、あなたが私を通して、私や他の人々の人生に神様の御こころが成るように宣言する祈りをなさってください。

今日の聖書通読箇所:朝・・・創世記42章、マルコ12章
              夜・・・ヨブ8章、ローマ12章


- 2006-02-04
header
header