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Osaka Shalom
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12月23日 偶像を引き降ろす

「人の子よ。これらの者たちは、自分たちの偶像を心の中に秘め、自分たちを不義に引き込むものを、顔の前に置いている。わたしは、どうして彼らの願いを聞いてやれようか。・・・心の中に偶像を秘め、不義に引き込むものを自分の顔の前に置きながら、預言者のところに来るすべてのイスラエルの家の者には、主であるわたしが、その多くの偶像に応じて答えよう。(エゼキエル14:3−4)

 私たちは皆、自分が罪を犯しているなら神は私たちの祈りを聞いてくださらないことを知っています。イザヤ59:2で、神は、「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」と語っておられます。神は御顔を隠され、私たちの祈りに耳を傾けてくださらないのです。私たちが神の祝福を受けるには、いかなる罪の思いやことば、行ないも告白して捨て去らなければなりません(Tヨハネ1:9)。
 私たちが神に対してなし得る最悪の行ないの1つに挙げられるのは、心の中に偶像を持つことです。大多数のクリスチャンは、私たちが木や何かで作った偶像を拝むことを神が非常に嫌われることは知っています。新約聖書の中で、私たちは偶像礼拝を避けるように命じられています(Tコリント10:14)。しかし、そればかりでなく、神は別の種類の偶像も嫌われます。それは、私たちが自分の心の中で作り上げた偶像です。
 では、心の中にある偶像とは何でしょうか? 「偶像」とは、「主のものである心の王座を奪い取る人や物」と定義できるでしょう。友人や愛する者との関係によって霊的生活が弱まっているような場合、私たちはその人が自分の偶像になっているのではと疑ってもいいでしょう。
 もし私たちが仕事の利益を第一に求め、霊的繁栄よりも物質的繁栄を追い求めているなら、私たちは自分を吟味する必要があります。金銭を愛する心が偶像になっているからです。
 私たちの家庭や家族が自分の人生においてすべてとなり、家族を喜ばせるためにいつでも霊的な妥協をしてしまうようであるなら、この場合も自分を吟味する必要があります。
 私たちが心の状態よりも外見を気にしている場合も、自分を吟味する必要があります。他の人々を喜ばせようとすることは、心の中の大きな偶像になり得ます。それは、人を恐れることにつながり、神ではなく恐れの対象になっている人々が私たちの人生を導くようになっていくのです。
 偶像はいつも私たちの心にあるものなので、あなたも私も自分が心に偶像を持っていることに気づくようになります。心に偶像があると、私たちは絶えずそれらのものを欲しいと願うようになるのです。神は、私たちが神と神がくださるものだけを願い求めることを望んでおられます。私たちが神を第一に愛することを望んでおられます。私たちが神よりも他のものを愛する時、神は妬ましく思われるのです。ですから、イエスを第一に愛していきましょう!

宣言:私は自分の心の中にある偶像を引き降ろします。私はイエス様を第一に愛していきます!

今日の聖書通読箇所:朝・・・U歴代27−28章、黙示14章
              夜・・・ゼカリヤ10章、ヨハネ13章

- 2006-12-22
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