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Osaka Shalom
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12月22日 きよい手を上げる

ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。(Tテモテ2:8)

 神が私たちの人生や家族、町や国のために何かをされる時はいつも、「神の御こころは必ず成る」と信じる人々が必要となってきます。この地上にいる誰かが、「神の国が来て、御こころは必ず行われる」と信じなければならないのです(マタイ6:10)。神が失われた魂をイエス・キリストのもとへ導くために用いられる祈りこそ、真の祈りなのです。
 祈りとは多くのことばを並べ立てることではないことを、まず肝に銘じておきましょう。イエスは、「また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです」と言われました。祈りとはそういうものではありません。しかし、私たちはイエスが夜を通して祈られたことも、使徒の働きに登場する弟子たちが日夜祈ったことも知っています。では、祈りとはどのようなものなのでしょうか? 神が私たちに望んでおられるのは、どのように祈ることなのでしょうか?
 神は、私たちがきよい手を上げて祈ることを望んでおられます。私たちが心から祈ることを望んでおられるのです。イエスは、私たちは心から信じなければならないと語られました(マルコ11:22−24)。神が御ことばで約束しておられることを心から信じることがなければ、その約束されているものを神から受け取ることはありません。この信仰を働かせるには、私たちは神が私たちに近づいて来られるのを妨げるものはすべて、私たちの人生から取り除いていく必要があります。
 マルコ11:24には、「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」と書かれています。もし私たちが信じるなら、神に求めたものはすでに受けており、私たちは必ずそれを経験するとは、本当にすばらしい約束です。しかしながら、次の節にその妨げとなるものが語られています。それは「赦さない心」です。
 マルコ11:25で、イエスは、「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」と語っておられます。
 神は、この赦さない心を取り扱わないなら神から何も受け取ることができないことを、私たちが理解することを願っておられます。私たちの罪が依然として前進を阻むこともあるのです。ですから、私たちが神から祝福を受け取るには、私たちの祈りが神に届いて答えられることを妨げてしまう私たち自身の心の問題を取り扱っていかなければなりません。私たちは心を取り扱う必要があるのです。ヤコブ4:2〜3には、「あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」と書いてあります。ですから、自分の悪い動機や他の人に対する間違った態度をすべて告白しましょう。

宣言:父なる神様、私はすべてのきよくない思いや行ないを悔い改めます。

今日の聖書通読箇所:朝・・・U歴代26章、黙示13章
              夜・・・ゼカリヤ9章、ヨハネ12章
- 2006-12-21
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