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Osaka Shalom
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12月21日 リバイバルを妨げるもの

あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。(ホセア10:12)

 神に正義の雨を注いでいただくには、耕地を開拓していかなければなりません。私たちの固い心が砕かれて、天から降る雨を受け取れるようになる必要があるのです。神に私たちの働きの上に祝福を送っていただくには、私たちは自分の心を整えなければなりません。イエスにその満ち満ちた豊かさをもって私たちのところへ来ていただくには、私たちは妨げとなるものをすべて取り除かなければならないのです。
 確かにリバイバルは祈りの答えとして訪れますが、私たちが祈っているから神は祝福してくださるはずだと考えてはいけません。重要なのは「祈りの量」ではありません。イエスが教えてくださったように、「祈りの質」が重要なのです。神が耳を傾けることも答えることもなさらない祈りもあるのです。神は御ことばの中で、祈りに関する御自分のルールを定めておられます。もし私たちが祈りの答えを受け取るためにその条件に従うなら、リバイバルを経験するようになるのです。
 神が私たちに第一に要求されることは、私たちがへりくだることです。高慢は人が犯した最初の罪であり、それ以来ずっとすべての人間に影響を及ぼし続けています。もし私たちが高慢のうちを歩むなら、神から恵みや好意をいただくことはできません。私たちが神のために生きていないのなら、私たちには高慢な心があると言えます。高慢な人は、あたかも自分が神や聖書がなくても生きていけるかのようにふるまいます。高慢な人は、全く神から離れた、独立独歩の生き方をしています。
 御ことばの中で、神はへりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすと語られています(イザヤ57:15)。へりくだった人は、どのようなことも神に依り頼みます。謙遜な心は、プログラムではなく神だけを頼るように私たちを導くのです。謙遜な人とは、一日中絶えることなくイエスと交わっている人です。私たちがどのようなこともイエスに頼るなら、それが、神が私たちの生活の中で御わざを行われるための扉を開いていることになります。
 「砕かれた人」とは、どういう人でしょうか? 砕かれた心で神の御前に出るなら、人は自分の罪に気づくようになります。もし私たちが他の人に罪を犯しているなら、私たちはその人のところへ行って、赦しを乞う必要があります。神は、私たちが自分の罪に目をつぶることなく、真剣に罪を取り扱うことを願っておられます。もし私たちが他の人と争っているなら、神の祝福を受けることができません。もし私たちが批判したり、不満を言ったりしているなら、聖霊が悲しまれます。神は愛ですから、不一致があるところにはとどまることができません。神は平和の神ですから、批判的なことばが発せたれたところにはととまることができないのです。神の臨在を願うなら、私たちは聖霊の罪の取り扱いに敏感にならなければなりません。神は今でも罪を憎んでおられますし、御自分が聖であるように私たちも聖であることを望んでおられます。きよさは主をお迎えする大路なのです!

宣言:私はすべての罪を捨て去ります。父なる神様、私にはあなたが必要です。私はあなたの道に従います。

今日の聖書通読箇所:朝・・・U歴代25章、黙示12章
              夜・・・ゼカリヤ8章、ヨハネ11章
 
- 2006-12-18
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