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Osaka Shalom
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12月20日 求めれば与えられます

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタイ7:7−8)
してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。(ルカ11:13)

 主が御自分の霊を注いでくださり、教会を生き返らせ、失われた魂を救ってくださるには、その前に必ず、祈りが捧げられなければなりません。神はその祈りの方法をすでに定めておられます。神は、きよい心で神の臨在を祈り求める人々がこの地上に現れるまでは、何もなさらない方です。神は、私たちがリバイバルの必要性を感じ、主が私たちに正義の雨を注いでくださるまで主を切に求めることを望んでおられます(ホセア10:12)。
 神は、御霊を注ぎ、失われた魂を救い出し、教会に新しいいのちを吹き込んでくださる方です。神が私たちに雨を注いでくださらなければ、私たちは何もすることができません。イエスがおられなければ、私たちは何もできないのです! 私たちには神の御力が必要です。神の国がこの地に訪れ、それが現されていくことが必要です。聖霊の罪を悟らせる力が私たちの家庭や町を覆うことが必要なのです。神は天から下って来られて、御自分の栄光を現したいと願っておられます。天国はこの地を攻め取りたいと願っているのです!
 どのようにすれば、神は御手を動かしてくださるのでしょうか? 私たちがきよい心で神に願い求めれば、神は御わざを行なってくださいます。もし私たちが神に聖霊を求めるなら受けると、主は語られました。つまりそれは、私たちのただ中で神の御霊が現れてくださるように、神に求めてもいいということです。神を求めることは、私たちがリバイバルの現れを見ていくための重要な鍵のひとつなのです。神が失われた魂を救ってくださるように求めるなら、私たちはそれを見ていくのです。
 とりなしはいつも神の臨在をもたらします。失われた魂や生ぬるい教会のためにとりなすことは、神の火が下り、福音を阻むすべての敵を焼き滅ぼすのを見ていくための鍵となります。神は自ら立ち上がり、私たちの敵をすべて打ち滅ぼしたいと願っておられます。神はこの世の人々に御自分の栄光を現したいと願っておられるのです。
 私たちの父なる神は、失われた魂を救いたいと願っておられますか? もちろんそうです。私たちの神は、御自分の教会に火を下したいと願っておられますか? もちろんそうです。神は奇蹟やしるし、不思議を行ない、未信者に迫りたいと願っておられますか? もちろんそうです。神がそう願っておられるのに、いったい何が神の御わざを止めているというのでしょうか? それが神の御こころなのに、なぜ実際に起きていないのでしょうか? それは、私たちが神の願っておられる方法で神を求めていないからです。私たちは神の臨在を求めて飢え乾く必要があります。私たちが心から神を求めるなら、神は御自分の家に戻って来られ、その聖なる御力と栄光を現してくださるのです。ですから、雨が降るまで、神を求めていきましょう!

宣言:父なる神様、私はあなたの御霊を注いでください! 主よ、来てください!

今日の聖書通読箇所:朝・・・U歴代23章、黙示11章
              夜・・・ゼカリヤ7章、ヨハネ10章
- 2006-12-18
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