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12月14日 なぜイエスの郷里はリバイバルを受け損なったのか?

こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」 そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。(マタイ13:57−58)

 イエスは御自分の郷里にも行かれましたが、そこの人々は神のリバイバルをもたらす力を受け損なってしまいました。群衆が集まって来ることもありませんでしたし、神の力が現れることもほとんどありませんでした。彼らはイエスに癒しや解放の御わざを行なっていただくこともできたのに、その満ち満ちた力を受け取ることをしなかったのです。
 このイエスの郷里をさばく前に、なぜ彼らがリバイバルを受け損なったのか、その理由を調べてみましょう。そうすれば、同じような特徴が私たちの町にもないかをチェックできるかもしれません。では、なぜ彼らはリバイバルを受け損なったのでしょうか?
 彼らが神の力を受け損ねた理由として最初に挙げられるのは、彼らが無頓着だったことです。彼らはイエスとその家族のことを知っていました。彼らはイエスを「あの大工の息子」と呼んでいました。「神の御子」とは呼んでいなかったのです。彼らは、昔から知っているひとりの人間としてしか、イエスを見ていませんでした。私たちもまた、イエスの臨在に無頓着になりすぎないように気をつけなければなりません。主が御力と愛をもって、私たちのうちに、また私たちを通して働いてくださるようにしていかなければなりません。
 私たちはまた、イエスが私たちのところに御自分のメッセンジャーを送ってくださることも覚えておかなければなりません。イエスは、私たちの町に打ち破りをもたらすために油注がれた働き人を私たちのところへ送ってくださいます。私たちは、そのような働き人を神から遣わされたメッセンジャーとして見る必要があります。私たちがイエスの遣わされた使徒や預言者たちをどのように待遇するかによって、私たちがリバイバルを経験するか否かが決まります。ですから、私たちのところに遣わされて来た五役者の方々には敬意を払っていきましょう。
 イエスの郷里の人々がリバイバルを受け損なった第二の理由として、彼らの不信仰が挙げられます。彼らはイエスのミニストリーを受けるために信仰を用いることをしませんでした。彼らはイエスにあまりにも無頓着だったので、主から多くのものを期待することがなかったのです。
 私は、不信仰はリバイバルの大きな妨げになると思います。私たちは、信仰がなくては神を喜ばすことはできないと知っています(ヘブル11:6)。私たちが不信仰のうちを歩むなら、神を喜ばせることも、神の祝福を経験することもありません。私たちが神の奇蹟の御わざを経験するのは、信仰によって歩んでいる時に限るのです。信仰こそが、町々を変革する神の力を解放する扉を開けるのです。
 もし不信仰によって妨げられていたら、私たちは何をする必要があるのでしょうか? 神の御ことばによって教えられる必要があるのです。マルコ6:6には、「イエスは彼らの不信仰に驚かれた。それからイエスは、近くの村々を教えて回られた」と記されています。私たちが御ことばを理解することによって、私たちの信仰が神の力が解き放たれる雰囲気を作っていくようになる必要があるのです。

宣言:私は神のメッセンジャーに敬意を払います。私はイエスの力を信じ、それを受け取ります。

今日の聖書通読箇所:朝・・・U歴代16章、黙示5章
              夜・・・ゼカリヤ1章、ヨハネ4章
- 2006-12-12
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